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第12話

 年が明けて最初の週末、泉は白石の店を訪れた。大学時代からの同級生でバー&カフェテリアを経営している。店は駅前から少し歩くが、喧噪から離れた大人の隠れ処といった雰囲気で泉は気に入っている。白石自身が学生の頃にスペインを旅して見て来たという白い町の建築がモチーフになっていて、店内は地中海をイメージした漆喰の白壁を柔らかい橙色の照明が照らし、落ち着いた色の天然木のテーブルやソファがゆったりと並んでいる。  白石と泉は、もう二十年の付き合いになる。出会いは大学入学直後で、同じサークルに入ったことがきっかけだった。学生時代の白石は良く云えばムードメーカー、悪く云えば八方美人の人たらしだった。  泉は最初のうち、この友人と然程気が合うとは思っていなかったが、ある時、互いのセクシュアリティが一致していると判明してからは、白石の方が泉に対し積極的に距離を詰めてきた。試しに寝てみようか、などいう冗談か本気か分からない誘いを受けたこともある。一度でも応じていたら、ここまでの長い付き合いにはならなかっただろう。男でも女でも一度寝た相手とは、友人にはなれないというのが泉の持論だ。けれど結局、そんなことにはならず、白石とは純粋な友人関係のまま今に至っている。  店に入ってすぐ、泉はカウンター内にいた白石と顔を合わせた。店内はいつもの倍の客で賑わっていたのでわけを訊いてみると、一月中は昨年のうちに店のメンバーズカードをつくってくれた客に限り、通常よりドリンク代を安くしているのだという。それから白石はいくらかトーンを落とした声で、 「年末、深月くんがほぼ毎日来てたぞ」  と報告してきた。 「ああ、そう云えばそんなメッセージもらってたな。迷惑かけてごめん」 「ほんとだよ。来ると必ず、泉さん来てますか、って訊かれてさ」 「それで?」 「来てないって答えといたよ。実際お前、ここに来るの一か月半ぶりぐらいだろ」 「そうだっけか。あ、ジントニック頼むよ」 「はいはい。つまみはオリーブでいい?」 「うん」  白石は食器やつまみなどを準備して戻って来ると、酒をつくり始めた。 「深月くん、荒れてたよ。一切返信してないんだって?もうさあ、日が経つにつれてどんどん呑む量が増えて、トイレで倒れてたことも二回ぐらいあったし、他の客と喧嘩になりかけたりもしたしさ」 「へえ、そんなんなっちゃうと、いい男も形無しだよなあ。出禁にした?」 「何で他人事だよ?出禁になんてしないよ。ちゃんと後で謝りに来たし、俺は事情を知ってるしさ。可哀想に深月くん、会社の女の子と婚約してたのに、それもだめになりかけてるみたいじゃないか」 「心配してあげるんだ?優しいね、白石くん。抱いてあげたら?」 「うわ、すごい雑な提案」 「だめ?彼、顔は一級品だよ」 「いいから話を逸らすな」 「だってさあ、婚約者のことは深月くんの問題じゃん。僕は初めに彼に云ったんだよ。節度を持って楽しもうね、今の彼女とも仲良くするんだよって」 「お前、いくつなの?そんな口約束が無意味だってこと、分かってるくせに。お前が夢中になったふりすれば、ああいう子は勝手に冷めて離れていったよ。何でうまく別れてやらなかったんだよ」  白石の云う通り、深月のような男は追われるとうんざりするタイプだと思う。その反対で落としたいと思ったら、視界に入っているのに興味のないふりをすればいい。後腐れなく別れる方法は若い時にいくらか学んできた。妻はもう自分に関心はないし、海晴と会う時だけ良い父親でいればいい。幸い、白石に頼めばすぐに相手は見つかる。この友人は顔が広い上に、人間関係を取りもつのが巧く、しかもそれを楽しんでいる。  けれど、今の自分はどうしても昔のようには恋愛を楽しめない。セックスをすれば飢えは充たされるが、心の空白感はすぐにまたやってくる。こうやって空しさを抱えながらもうまく生きていかなければならない年齢になったということなのだろうか。  その時、甲高い声に会話が遮られた。何事かと振り返ると、奥のテーブルで五、六人ほどの若者たちが騒いでいた。どうやら誰かが酒をひっくり返したらしい。派手に手を叩きながら笑いさんざめく彼等は、よく見るとどの子も二十歳そこそこといった感じで、明らかにこの店では浮いていた。しかもその輪の中心には、白石の共同経営者であるOの姿が見えた。 「うるさ」 「ああ……またOが連れて来たんだよ」  うんざりした様子で白石は云った。  Oは白石の共同経営者の一人だ。白石は彼の友人二人と共に資金を出し合い、三十半ばでこの店を開いた。三人で平等に出資し、実際の店舗運営はプロのバーテンダーやアルバイトを雇う計画で、その時は白石もまだ自分で店に立とうなどとは考えていなかった。  だが災難は、信頼できるはずだった仲間のうちの一人が、業者への支払いを前に本業の事業に失敗して行方を眩ませたことから始まった。あえなくこの計画は頓挫するかと思いきや、残ったもう一人の友人が連れて来たのがOだったのである。  北欧家具や雑貨、食品を扱う会社を経営しているというOは、逃げた友人の出資額の穴埋めをしてくれるというだけでなく、本業で扱っているインテリアで雰囲気に合うようなものがあればいくらか融通するとまで云ってくれた。 「店づくりの理念もコンセプトもとても気に入った。自分は飲食店についての知識はほとんどないし、本業が多忙なので、予め決めた利益の配分だけ守ってくれれば、経営方針などについてはあれこれ口を出す気はない。たまに店を利用させてもらえれば充分だ」  という話があった二日後には、必要な金額をしっかり店の口座に振り込んできたという。   白石は実際にOと対面で話したのは一度か二度で、あとはメールや電話でコミュニケーションをとっていたため、正確にどんな人間かはつかめないままだったが、Oを紹介してきた友人の判断を信頼していた。何より計画が順調に進められるという安心感が、白石の判断を狂わせていたに違いない。  実際にOと何度も顔を合わせていくうちに、白石はこの男のことで頭を悩ませることになる。最初の時点でこれほど問題のある男だと分かっていればと、折に触れて白石はぼやいている。  開店からしばらくして、店は混乱し始めた。店づくりに関しては白石ともう一人の友人に一任すると約束していたOが、仕入れやサービス、アルバイトの教育などに次々と口を出してきていると現場スタッフから連絡があったのだ。しかも一番迷惑なのは、三十代以上の客層をターゲットとした落ち着いた雰囲気にするというコンセプトであるにも関わらず、度々若い子たちを連れて来て騒がせることだった。白石が注意するとその場はやめるのだが、すぐにまた同じことを繰り返す。白石の友人が云っても変わらない。  Oは実家が資産家で、苦労知らずのお坊ちゃんだった。どうやら男好きであることを隠す気はないらしく、毎回必ず若い子を一人か二人侍らせてあからさまにべたべたしていた。Oの傍にいるのは決まって、大学に入りたてぐらいの、本当にまだ男の子と云って差し支えないぐらいの子たちばかりで、白石によれば、彼等は高価な食事やプレゼント、そしてお小遣いと引き換えに、Oのデート相手を務めているらしい。そして、多くの男が本音では女たちに対して思っているのと同じように、男も若ければ若いほどいいというのが、節操のないOの持論らしかった。  Oは出資額分が戻れば手を引くと云っているので、白石はOに金を返すべく日々頑張っている。文句を云いながら表面上はうまくやっているあたり、この友人の忍耐強さに泉は感心する。だが計画ありきで進めたことはやはり反省しなくてはならないだろう。長年の友達に裏切られたばかりだというのに、会って数回の人間を信用できるわけないのだ。 「すみませーん。酒零しちゃってえ、拭きに来てくれない?」  Oのテーブルの末席にいた若者の一人が、カウンターへやって来た。  髪を赤く染めた童顔で華奢なその青年は一見、十七、八にしか見えなかった。一瞬、泉は彼と眼が合ったような気もしたが、すぐに携帯電話に注意を逸らし、酒を呑み続けた。白石はといえば、あからさまに溜息を吐くと、アルバイトの子をテーブルの片づけに行かせた。

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