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第19話

 その日の帰り、泉は結城を白石の店に連れて行った。店に到着するまで泉は、 「とっておきの店がある」  としか告げず、車を走らせた。近くのコインパーキングに車を停め、店までの道を歩いている途中で、実は同級生がやっている店なのだということを明かした。 「泉さんの同級生の方に会うなんて、ちょっと緊張します」 「そんな緊張するような相手じゃないから」 「ええと、じゃあ私は泉さんの友達、ってことでいいですか?」 「そんなんじゃなくてさあ、付き合ってるって云ってよ。僕の彼氏だって」  結城の顔に緊張と狼狽の色が浮かび、泉は若干の気まずさを覚えた。 「冗談だって。でも白石は僕のことをよく知ってるから大丈夫だよ」  白石と顔を合わせた結城は真面目な顔つきで、まるでそこがビジネスの場であるかのように名刺を取り出した。 「結城朔矢です。宜しくお願いします」 「え、結城くん、名刺持ち歩いてるの?」 「これはご丁寧に。白石です。悪いね、俺、今名刺持ってなくて。えー彼すごい礼儀正しいじゃん。どうぞ、座って。え、今日は二人で出かけてたの?」 「そう。今日はドライブの帰り。結城くんとは年末に仕事で知り合って、そこから仲良くしてもらってるんだ」 「へえ」  白石は本当に物珍しそうに結城のことを隅々までと云っていいほど眺めていた。結城は白石とちょっと視線が合うと緊張した面持ちで、恥ずかしげに隣にいる泉を見た。 「白石くん、ノンアルコールのビール欲しいな。運転して来てるから。結城くんにメニューちょうだい」 「あ、私も同じもので」 「あれ、結城さんはアルコール苦手?」 「いえ……ただ今日は」 「結城くん、気にしないで好きなの呑んで」 「あ、何だ、呑めるの?じゃあ結城さんは呑まなきゃ。泉はあなたに酔ってもらいたいんだから。その作戦に乗ってあげないと」 「ちょっと、何を云ってるの」  白石は結城にブルーキュラソーを使った深い水色のカクテルを出してくれた。フルーツの彩りもソルトの縁どりもない、一見シンプルなカクテルだったが、深い透明感のある青色がとてもきれいだった。 「結城さんは水色っぽいイメージだから」  結城は初々しく酒の色に見惚れた後、白石に礼を云っていた。白石の台詞に深い意味がないことは分かっているが、こういうことがさらりとできる友人に、泉は少し嫉妬した。酒が入ると徐々に結城の緊張が緩んでいくのが分かった。 「あの、泉さんって大学生の頃は、どんな感じだったんですか?」 「うーん、モテてたよ。ほら、こいつ雰囲気がきつくないから女の子が警戒しないタイプなんだよね」 「ああ……確かにそうかも」 「でも根っこがドライだから。だめだな、と思ったらさっさと別れちゃうの。見てるこっちがちょっとびっくりするぐらいあっさりしてるんだよ、この人」 「待って、僕を薄情な人間みたいに云わないでよ」  笑いながらそう云ったが、これまで泉は白石がそんな風に自分について話すのを遮ったことはない。長年の友人にドライな人間なのだとお墨付きをもらっておけば、遊び相手はそれなりの心構えをしてくれる。でも結城にはそんな風に思われたくなかった。 「とはいえ、元々性格が優しいし、育ちがいいんだよね。話に入れない子とか、隅っこにいる子に必ず声かけるし、男友達といる時でも言葉遣いがきつくなんないの」 「じゃあやっぱり、男女問わずモテた方なんですね?」 「そんなこと」 「そうだね、俺もこいつの人間関係全部把握してるわけじゃないけど。大学の時に付き合ってたのは女の子ばっかりだったかな。男はなかったんじゃない?あの頃は、高校時代からのツレがいてそいつと四六時中つるんでたし」  泉は一瞬、どきっとした。この場で親友のことについて深く掘り下げるのは避けたかった。 「あの、ちなみにお二人は付き合ったりしなかったんですか?」 「え……」 「俺と泉が?ないない」 「でも、相性良さそう」  その言葉に年上の男二人は同時に噴き出した。 「何の相性?」 「そうだよ、結城くん大丈夫?酔ってる?」 「うーん……少し」  泉と白石は眼を合わせて、すぐにまた逸らした。ない。向こう見ずに、色々なものを欲しがっていた若い頃なら、もしかしたらあったかも知れない。でも一度でもそうしていたら、こんな風に長く付き合うことはなかっただろう。縁結び、というが人と人との縁は本人たちの成長や環境の変化に応じて、結び目の形を変えなければならない時がある。きつく結んでしまった紐は切るしかないし、緩すぎれば解けて結び目はなくなってしまう。適度な力で結びついていれば解いてまた結び直すことができる。そうして形を変えても結びついていられるのが古い友人であり、夫婦もそうあるべきなのだと思う。  夜十時を過ぎて二人は泉の自宅に帰って来た。途中、結城が車の中でうとうとしていたのを知っていた泉は、寝ていていいと云ったが、彼は決して眠ろうとはしなかった。 「運転ありがとうございました。あの、これ」  律儀な結城はあらかじめ用意してあったと思われる、茶封筒を泉に手渡そうとした。一万円札が透けて見える。ガソリン代や途中で済ませた食事代ということだろう。もたもたと財布を見せたりせず、こうしてスマートに渡せる状態にしてあることや、泉の方が年上で、何度も奢られていても、それを当たり前に思わないところに、この男の清白な人間性を感じる。 「だめ。こういうのは本当に気にしなくていいんだよ。もうこの先もしないで」 「いえ、私の気が済みませんから」 「今日は楽しかった?」 「え……はい、すごく楽しかったです。私、誰かと何処かへ出かけたのなんて本当に久しぶりで。もちろん、スワンボートも。白石さんのお店も素敵でした」 「良かった。僕はそれを聞きたいだけなの。僕も結城くんといて今日は楽しかったよ」  泉は結城が封筒をしまい込むまで見届けると、車を降りた。  疲れてはいたが泉の気分が明るかった。風呂を沸かし、体を温めて、早めに寝台へ入った。照明を落として少しの間結城と会話をしていたが、やはり眠そうにしているので、今夜は素直に寝ることにした。 「じゃあ寝ようか。ああー……間違いなく明日は足が筋肉痛だ」 「私、翌日もまあまあ筋肉痛あるんですけど、近頃は更に重いのが翌々日に来るんですよね」 「やめて、脅さないで。僕なんかどうなるの」  今日の結城はよく笑う。この男にも、水面に反射する陽射しのような明るさがあったのだと知って胸が温かくなる。この寂しそうな男が笑うと、胸の奥が充たされる。  確かにこの男とも、飢えを充たすために関係を始めたはずなのに、いつ変わったのか。不思議だった。考えても泉には分からなかった。  セックスをせずにこうして並んで眠るこの清浄な夜が泉の隠した寂しさを慰撫し、更にそれが心へと滴下していった。それは愛情の新たな流路だった。愛の純水は薄闇の中、玉かぎる黒い瞳に向かって、緩やかに流れていく。 「僕ね、結城くんのことすごく好きみたい」  ストレートな言葉に少し驚きを見せながらも、結城は屈託のない笑みを浮かべて泉を見つめた。 「嬉しいです」  本当だった。誰かと同じ寝台にいて、何もしなくても満たされた相手はこれまで樹里しかいなかった。  寝台の脇にある卓上の間接照明は手許で調光が利く。灯りを最も暗くし泉は結城におやすみを云った。  翌朝、泉が身支度をしながら次回の予定を訊ねると、結城は来週末、用事が入っていて会えないと答えた。泉の方は本音を云うとまたすぐに会いたかったが、楽しく過ごした後こそ冷静さを忘れてはいけない。そう考えてここはやせ我慢をした。それならまた都合のいい時に、とだけ云って二人は別れた。  その週の半ば、結城と一緒に芦ノ湖のボートに乗っている夢を見た。普段、外でそんなことをする趣味はないのに二人はいつしかキスを始め、次第に激しいペッティングになだれ込んだ。ボートが揺れて水が入り込むのもお構いなしに、唇を貪り、項を咬んで、下半身をまさぐった。外でするのなんて学生の時以来だ。結城の後孔へ雑に指を差し入れるとそこが女の秘所のように濡れている。たちまち泉の昂奮は高まり、それをぶつけるかのように乱暴に結城の中へ押し入って、容赦なく結城の内側を突き上げた。結城も結城で、離れたところを行き交うボートに、桟橋にいる監視員に、見せつけるように乱れきった声をあげる。泉の熱は更に増し、結城の足を抱え、更に激しく腰を動かす。眩暈がするほど心地良かった。精液に塗れて、気だるさに呑み込まれて、眼を閉じた。  ふと気がつくと既に日は暮れていた。何故か手足が重く、身動きが取れない。無理矢理動かしてみると複雑に絡まり合った木の根が、泉の体に巻きついていた。泉には分かる。これは樹齢一二〇〇年の杉樹の根だ。神域で淫行に耽った天罰が下ったのだと思い、背筋に冷たいものが走る。樹の根に精力を奪われぬうちにと焦りつつ木の根を払い除けていくが、結城の姿が傍にないことにはたと気づき、茫然自失となる。顔を上げると樹々の間から湖が見えた。岸から離れた湖の中に立つ鳥居。あれは湖上の鳥居だ。そこに一艘の小舟がゆっくりと近づいて行く。誰かが乗っている。若い男だ。  結城の名前を呼んだところで泉は眼を覚ました。

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