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第23話
葵からはほぼ毎日連絡が入っていた。内容は大抵下らないメッセージや、どうでもいい内容の電話相談だった。それでも泉は時間があれば、とりあえず応じてはいた。いつも無視しようと思うのだが、いざ連絡が来ると結局返事をしてしまう。大半の理由は彼の家庭環境に対する同情心からだった。こういう時、自分は損な気質を持ち合わせているな、と思う。
「泉さん、何だか元気ないよ。全然食べてないじゃん。俺、泉さんに風邪とかひかれたら嫌なんだけど」
「ただ仕事で疲れてるだけだよ。別に具合は悪くないから大丈夫」
「そう、ほんとに?じゃあ今日はこの後ホテル行っちゃう?そして俺を食べちゃう?」
「阿呆 な冗談云ってないで。昨日電話で云ってた明日提出のレポートは出来上がったの?」
「できたできた」
「ほんとに?」
「……ごめん、嘘」
「嘘吐くのはやめようって云ったの忘れた?」
「わ、すれてないよ。ただ、ちょっと気になることがあって、色々ネットで調べててさ」
「そう。何について調べてるの?」
「ほんと悩んでるんだよ。あれから色々調べてみて、手始めにこれ買ってみようかと思ってるんだけど」
葵が見せてきた携帯電話の画面には、前立腺マッサージャーが表示されていた。アダルトグッズのオンラインショップの商品ページだった。
「……葵くん」
「だって少し努力しないとさ、この前みたいなのじゃ話になんないじゃん」
「まあ、どうしても買いたいなら止めないけど、それはそれとして大学の勉強はちゃんとやりなよ。友達に置いて行かれるよ」
「友達なんかいませーん」
「嘘だ、ちょっとはいるでしょ?」
「最初だけね。だんだん話合わなくなって、俺の方からフェードアウトしたの。『悪い奴じゃないけど何か違うよな』って云われてさ。まあ別にいいけど」
「大学、楽しくないの?」
「うん、全然。でも社会人の方がいいとも思わないしね。どうせ俺らの大学じゃ大した就職先は見つかんないだろうし」
「就いてみたい職業とかは?」
「ないない。先のことなんか全然分かんない」
「まあとにかく、単位もちゃんととれない学生と遊ぶ気はないからね」
「えっ、それはやだ。頑張る、約束する」
「良かった。じゃあそれ食べ終わったら今日は帰ろうね」
「ええー?ラブホ行こうよお。俺、そっちの勉強がしたいよう」
「ちょっと、静かにして」
「じゃあさ、我慢する代わりにテイクアウトで大盛ポテト頼んでいい?家でつまみながらレポートやるからさ」
「まだ食べるの?」
口では素っ気なく接していたが、葵はわりに甘え上手でもあったので、関わっていくうちにまあまあ可愛いかなと思うことも増えた。ファミリーレストランや回転寿司のメニューをとても美味しそうに食べる姿はそれだけで泉の父性を慰めてくれた。
白石から連絡を受け、年齢を誤魔化して店で飲酒したことについて葵が電話で謝罪してきたと聞いた時は驚いた。大盛ポテトが運ばれて来る前、葵にそのことを訊いてみると、
「白石さんは泉さんの友達だから。それなら、謝っておかなきゃなって思って」
と答えた。
まだ十八、九の青年なので尖っている部分はあったが、葵は泉の云うことには聞く耳を持っていた。元々、表情豊かできつい雰囲気のない子だった。視野が広がり、想像力がつけばもっと優しい子になれるだろう。あまり賢くはなかったが、ひねくれてはいなかった。
「そう。でも僕のためじゃなくて、君は君のために正しいことをしていかなきゃ」
「はあい。ねえ、それよりさ、今度の週末どっか出かけようよ。会ってくれるのいつも平日の夜ばっかじゃん」
自分には恋人がいるのだという半分本当のような嘘を、泉は常々この子に云い聞かせていた。だが一緒に暮らしているわけではないと知ると、葵はチャンスがあると踏んだのか、やたらと泉の自宅へ行きたがり、頻繁にデートの誘いをかけてくるようになった。
「そうだねえ、じゃあどっか行こうか」
「えっ、いいの?やったぁ、初じゃない?」
自宅に来るのはともかく、外でデートぐらいはしてもいいかと、泉は葵の誘いに応じることにした。葵との付き合いを前向きに考え始めているからではなく、自分自身が結城のことから少しでも気を逸らしたいだけだった。
「じゃあ今週の土曜ね」
「ねえその日、泉さんの家に泊まるのとかは」
「だめ」
葵が自然の多い場所に行きたいと云うので、土曜は車で宮ケ瀬の湖畔に散歩に出かけた。広い芝生では家族連れがテントを張ってボール遊びや追いかけっこなどをして思い思いに過ごしていた。
意外に悪くない休日だった。天候に恵まれていたので景色がよく見え、気温も十度以上というこの時期にしては暖かい日だった。
葵の年齢であれば街中で金を使って遊ぶのを好むだろうと思っていたので、こういった場所で満足している様子は意外だった。本当は都内にでも行きたかったのではないかと訊くと、人ごみが嫌いだからいい、という答えが返ってきた。
「でもさ、イベントとか買い物とか行ったりするんじゃないの?」
「まあ、金と時間があればね。でも、基本はあんまごちゃごちゃしたとこ行きたくないんだ。買い物はできればネットで済ませたいし、電車だってあんまり乗りたくないぐらい」
「どうして」
「分かんない。もうずっと前からそうだよ。それに俺、あんま友達いないって云ったじゃん。だから誘いとかそんなないし。自分から話しかけるのとか基本、無理だからさ」
葵は泉が買い与えたドクターペッパーをごくごくと飲んだ。
「前に一緒にいた先輩たちだって、バイト初日に向こうからガンガン話しかけてきて、飯とか奢ってくれるから一緒にいるようになっただけ。まあ居酒屋のバイトも辞めたし、もうあの人たちと会うことないけどね。顔合わせたら何されるか分かんないもん。連絡先もブロック済」
「そっか、でもしばらくは気をつけなね」
「うん。あ、そう云えばさ、この前面接受けた歯医者の助手のバイト採用になったんだ」
泉は飲んでいた缶コーヒーを吹き出しそうになった。
「えっ、歯医者って……歯科助手?君が?大丈夫なの?それ」
「うん、大学の近くに夜九時までやってるクリニック見つけてさあ、ちょうど夕方から入れるバイト欲しかったんだって」
「そう……でも医療関係ってミスできない仕事だし、厳しいんじゃない?」
「えー?別に俺、怒られるの慣れてるし、どこ行ったって大変だもん」
「……へえ。でも葵くんて人に話しかけるの無理って云うわりに、居酒屋とか歯科助手とか、人と関わるバイト選んでるよね」
「だって学生ができるバイトって接客系が多いんだもん。なけなしのコミュ力を金に換えてんの。褒めて?」
最初は、はいはい、と適当に応じようとしていた泉だったが、途中でふと考え直した。
「うん、葵くんは頑張ってるよね。信じてるからね」
揶揄 わずに泉は葵の眼を見てそう云った。葵はまさか本当に褒めてもらえるとは思っていなかったらしく、泉の言葉に眼を瞠った。
「えー……ほんとに?」
「うん、葵くんは努力できる子だと思うよ」
こんな感じでいいだろうか。多分この子は褒められることに飢えているはずだ。それに、この場でもまだ泉は結城にしたことの罪悪感が頭から抜けきっているわけではなかった。葵を労わってやることで、自分は悪い人間ではないと思いたかった。
「あ、あのさ、泉さんは特別だから」
斜め後ろから葵が声をかけてくる。
「え?」
「俺、自分から誰かに声かけようって勇気出したの、ほんとすごく久しぶりだったんだよ。緊張したけど、泉さんだったから頑張れたんだと思う。あなたを運命って云ったの、ふざけてとかじゃないからね」
そう云って葵は腕を絡ませてきた。
「頑張ってみて、いいことがあったのって初めてかも知れない」
帰り際に見つけた売店で、葵は何故かカレーのデザインのカプセルトイを回したいと云った。
「何これ」
「ごめん今、小銭がないんだ。泉さん、貸してくれる?」
「いいよ、三百円でしょ。あげるよ」
「ありがと。宮ケ瀬出ろ出ろ」
そうして出てきたのは宮ケ瀬ダムカレーのキーホルダーだった。よく見ると、カレーは全部で五、六種類あったので、現地のものが出てきたというのは運が良かったと云えた。
「やったぁ。今日、めっちゃ運いいんだけど」
「ねえでもさ、今日ダムの方行ってないし、カレー食べてないよ」
「いいじゃん、今度行こうよ。それよりほら、このご飯にぶっ刺さってるウィンナー抜くとダムみたいにカレーが流れるって仕組みなんだよ、本物はね。あ、でもこのキーホルダーも、ちゃんとウィンナー抜けるようにできてるんだ。旗がハートだし。可愛くない?」
「ていうか、これ全然違う場所のご当地ダムカレーが出てきたらどうするつもりだったの?」
「大事にするよ?泉さんが買ってくれたのに変わりはないし。ほらほら、カレーを放流しまーす」
泉は情事の相手に残るものを与えたことはない。しまったと思ったが、所詮三百円のおもちゃだ。いつまでもとっておくはずはないと考え、気にしないことにした。
泉は帰りの道中、ATMで現金を下ろす必要があったのでコンビニに車を停めた。葵は特に買いたいものはないということで車で待っていた。泉はエンジンを切らずに車を降り、ATMでの出金と手洗いを済ませた後、二人分の温かい飲み物を買って車へ戻った。
恐らく、この間の出来事だろう。葵はカーナビに登録されていた泉の自宅情報を検索し、その画面を自分の携帯電話のカメラで撮影した。そのことが発覚したのは一晩経って、再び彼が泉の家の前に現れた時だった。
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