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第24話

 前日とうってかわってこの日は冷たい冬の雨が降っていた。  昼前、泉が白石とメッセージのやりとりをしているとインターホンが鳴った。モニター越しに応答するとそこには葵がいた。 「泉さん?俺だよ」 「えっ、葵くん?」 「うん、そう。ねえ開けてくれる?お願い」  泉は携帯電話を置いて、玄関に向かった。扉を開けると、傘を持っていない葵が通学用のリュックを背負って立っていた。 「どうしてうちが分かったの?困るよ、こんな風に急に」 「ごめん。でも泉さんしか頼れなくて」  寒さの所為で玄関扉を開け放したまま話し合うことはできなかったため、一旦葵を中へ入れた。今日は特別用事があるわけではなかったが、葵に会うつもりもなかった。 「一体どうやって僕の家を調べたの?住所は教えてないはずだけど」  葵はそれには答えず、顔の前で両手を合わせた。 「助けて。自分ちに帰れないんだよ」 「はあ?」  泉は葵に雨で濡れた髪やジャケットを拭くためのタオルを手渡し、中へ上がるよう告げた。扉を閉めて大分ましになったとはいえ、暖房の効いていない玄関にいつまでも留まっていたくなかった。許可を与えた理由は、寒さが半分、そしてどうやってこの家の住所を調べたのかを訊き出さなければという思いが半分だった。 「泉さんの家広ーい。外も見た目きれいだった。最近建てたの?」  葵は荷物を部屋の隅に置くと、泉の後をついて来た。そのままキッチンにまで何の迷いもなく侵入して来る。 「あっちに座ってて。今、何か飲み物を出してあげるから」 「ありがとう。手伝う」 「いいから」  泉は安いTパックの紅茶を淹れてやり、ミルクを添えて出してやった。 「あったかい。凍えそうだったんだよ」 「それは良かった。で、自分の家に帰れないってどういうこと?」 「えーと、大学か前に話した先輩たちのこと憶えてる?俺とOさんを無理矢理引き合わせようとしてきたっていう……」 「ああ」 「その人たちに今日、アパートの敷地の外で待ち伏せされてさ、この前のこと、どう落とし前をつけるつもりなのかって訊かれて」 「ええ?」  葵の先輩にあたる二人の若者はそんなに暇なのだろうか。だがOが命じてやらせている可能性もあった。葵がテーブルの上に置いた携帯電話には昨日獲得したカレーのキーホルダーがつけられていた。 「君、Oさんに相当好かれたんだね。でなきゃそこまでしてこないよ」 「だるすぎ。もう俺、どうしたらいいの?」 「そんなこと僕に訊かれても」 「何それ、冷たくない?」 「葵くんさ、自分も浅はかだったってことは分かってるよね?」 「えっ?」 「つけ回されて怖い目に遭ってるのは可哀想だと思うよ。でも、先輩たちにもOさんにもただでブランド品をいくつもプレゼントしてもらったり、毎回食事を奢ってもらったり……少しは変だなって思わなかったの?」 「だってそれは……向こうがくれるって云うから」 「どうしてそんなことをしてくれるのか、疑問に思わなかったの?小さな子供じゃあるまいし、遠慮もせずにもらうだけで済むと思ってるなんて」 「はいはい、ごめんね。どうせ俺、莫迦だもん」  それは諦めを含んだ、不貞腐れたような声だった。 「君は莫迦じゃない。ちゃんと考えろって云ってるんだよ」  その言葉に葵の眼が意外そうに光った。 「過ぎた親切の裏には絶対裏があると思った方がいい。相手がどういう人間なのか、よく見極めないとだめだよ。第一、以前の君は飲酒や喫煙を平然としてた上に、恋愛経験が豊富なんて嘘まで吐いてたんだよね?そういういい加減な振る舞いをしてれば、それなりの扱いを受けるのが世の中なんだよ。君の本質がどうであるかに関わらずね」  葵は俯き、紅茶を啜った。 「……もう酒も煙草もやめたもん」 「そう。じゃあその決意を二十歳まで続けて」  葵に昼食はもう食べたのかと訊くと、彼は首を振ったので出前をとることにした。食事が届くまで、葵は好奇に満ちた眼で家の中を観察していた。葵も結城同様、海晴の作品を黙ってしばらく見上げていた。和室の寝台と、二階が気になっているようだったが、泉はどちらにも行かないよう告げた。  出前が届いた時、ソファに座りテレビを観ていた葵はぱっと起き上がって、盆を運び込む泉の後ろの空気をふんふんと嗅いでいた。味噌汁付きの天丼を彼の前に出すと、両目をきらきらさせながら、美味しそう、と云った。 「さあ、食べよう」 「うん。あ、そうだ……金、払う」 「何、今更。いいよ」 「でも」 「いいから、座りなって」  泉は温かいそばと天ぷらを頼んでいた。緑茶を用意し、二人は向かい合って食事をした。 「うまっ。朝食いい加減だったから嬉しい。しみるー」 「そう。良かった」 「ねえ、これどこの店の?」 「田村庵(たむらあん)」 「ふうん、知らない店。これ、いくら?」 「こういう時は値段なんか訊かないの」 「そうなの?」 「そうなの。どうしても値段が知りたいなら、後で検索でもしなさい」 「分かった」  そう答え、葵は大人しく食べ続けた。  独身になってからの泉は和食が食べたい時、よくこの田村庵の出前に世話になっている。だが今葵が食べている天丼は一度きりで充分だった。泉にはたれが濃すぎてもたれてしまう。 「はあ?ちょっと待って。二千円もするんだけど、この天丼」 「今調べたの?」 「やば、これもう真剣に味わうしかない」 「葵くん、普段はどんなもの食べてるの?」 「んー、マック好きだよ。あとはガストとサイゼかな。全メニュー制覇目指してる」 「そう……家にいる時は?」 「適当に。バイト代少ない時は、家で納豆食ったりとかしてるし」 「お母さんと食べたりはしないの?」 「飯に関しては気にしなくていいって云ってあるの。ただでさえ、大学にかかる金で仕事大変なのに」  泉は、そう、と云って食事に戻った。ただ甘えているだけの子かと思ったがそうではないらしい。まだそれほどこの子のことを知っているわけではないが、全く他人に対する気遣いのない若者だと思い込んでいた自分を恥じた。

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