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第27話

 結城に謝らなければならなかった。何をしていても、心の隅では常に結城に連絡を取りたいと泉は考えていた。だが同時に、自分にはもう彼と話す資格なんかないのだとも考えていた。  自分たちの関係性を鑑みれば、お互いが他の誰かと繋がっていたとしても双方に責める権利などない。あの時だってそれは分かっていたのに、どうしても憤りと嗜虐心が止められなかった。あんなけだもののようなことをしておいて、一体どう関係の修復を図ればいいのか。もしかしたら本当に結城はあの男と何もしていなかったかも知れないのに。どちらにせよわけの分からないまま、痛めつけるように犯され放置され、最低な奴たと思われているに違いない。  後悔に充ちた二週間を過ごした金曜日の夜、電話がかかってきた。時刻は九時を過ぎていた。残業をして帰って来た泉はカルディのレトルトカレーを食べながら、ぼんやりと携帯電話の画面を確認した。途端に心臓が跳ねた。着信は結城からだった。 「はい」 「泉さん」  結城の声が聞こえた瞬間、渇ききった泉の胸に流れ込むものがあった。 「……結城くん?」 「はい、あの、お忙しいところすみません。今少しだけいいですか?」 「うん、大丈夫だよ。どうしたの?」  何が、どうしたの、だ。こんな惚けたことを云う自分をぶん殴ってやりたい。 「泉さんに会いたいです」  泉は言葉に詰まった。結城の声はこれまでと何ら変わらず静かで優しかった。 「すみません。こんな時間に急に電話して、こんなこと」 「いいんだよ。結城くんはいつでも僕に電話してきていいんだよ」  不意に泉の中のダムが決壊しそうになった。安堵からくる涙を堪えなければと思う。心の底から込み上げてくる申し訳なさで苦しくなった。 「泉さんの都合の良い時に、また時間をつくってもらえませんか?一緒に夕飯でもと思っているんですが。私が作りますから」 「もちろん、いいよ。でも食事ならわざわざ君が作ることないよ。何が食べたい?何でも君の好きなものを食べに行こう」 「ありがとうございます。でも、泉さんと鍋を食べたいなと思ってて」 「鍋?」 「はい、どこの家でも作ってるような、普通の鍋ですけど。もしも、お嫌いじゃなければ」 「うん、僕は好き嫌いないから」 「良かった。それで提案しておいて何なんですが、泉さん、大きめの鍋ってあったりしますか?私、家に一人用の小さな鍋しか持ってなくて」 「うん、大丈夫。あるよ」  圧力鍋でも琺瑯鍋でも蒸し器でも泉の家にはある。妻のおかげで台所の調理器具は充実していた。だがかさばる上に重いという理由から、彼女は家を出る時、持って行くのを諦めたのだろう。 「……ねえ結城くん、僕」 「明日の午後とか……だめですか?」 「え……うん、もちろんいいけど」  翌日は、朝から雲の多い天気だった。午後二時に結城をアパートまで迎えに行き、スーパーで材料を買い込んで、泉の家で鍋を作るという予定になっていた。  朝起きてから家を出るまでの間、泉は敷布や枕カバーを洗って乾燥機を回し、窓を開けて掃除機をかけ、午前十時過ぎに近所の洋菓子店へケーキを買いに向かった。家へ戻るとしばらく使っていない鍋や調理器具を水洗いし、キッチン周りを整理した。色々考えてはいたのだが、結城にどんな言葉をかけるべきか決めきれないまま、迎えに行く時刻になってしまった。  結城は待ち合わせ場所に、彼の自宅近くにあるスーパーの駐車場を指定してきた。泉としては助かった。結城のアパートまで行けば前回の恥ずべき自分の行いをまざまざと思い出すのは必至だ。 「こんにちは」  何だか照れくさそうな、緊張した面持ちで結城は泉に笑いかけてきた。本当に恥ずかしがるべきは自分の方だと泉は思う。  スーパーで白身魚やエビをメインに寄せ鍋をつくることを決め、次々と野菜をかごに入れていった。店の冷蔵ケースの白い光に照らされる結城の横顔を見つめていると、じわじわと彼に対する罪悪感が増していって、泉はすぐにでもこの場で謝りたいと思った。一週間前の自分は何てクズだったんだろうと思う。 「あの、結城くん」 「豆腐は絹だよね」 「え?」  それまで考えていたこととかけ離れた質問だったのと、そのくだけた口調に泉は固まった。結城は何事もなかった様子で、泉と視線を合わせ、 「絹豆腐を入れてもいいですか?」  と明るく訊ねてきた。 「うん、いいよ。僕はこだわりないから、何でも」  泉の家に着くと結城は早速料理に取りかかった。包丁を扱う結城の手つきは初めて会った日と同じように不器用だった。泉は手伝いを申し出て、長ネギを切ったり、もやしを投入したりした。 「毎日、もっと時間があったら料理したいと思う?」 「うーん、食べる人がいてくれれば」  出汁の優しく温かい匂いがキッチンの中に満ちていった。一方的に泉がもてなしていたどの日よりも結城はリラックスしているように見える。このまま結城がずっとこの家にいてくれればいいのにとふと泉は思った。その日の疲れを語り合いながら癒し、零れ出た愛情で結城の孤独を纏った体を温めてやりたかった。けれどもちろんそんなことが叶うわけがない。自分は父親として、いつでもこの家に海晴の帰って来る場所を用意しておいてやらなければならないのだから。  それでも二人でごく普通の家庭料理を作って、テーブルを拭いたり配膳をしたりしながら笑って言葉を交わしていると、この空気を永遠のものにしたいと強く願ってしまうのだった。もし結城もそう思ってくれるのなら、彼も自分も、これ以上一人で孤独に耐える必要はないのではないか。  市販の出汁を使った鍋は誰が作っても大体似たような味に仕上がる。泉は久しぶりに人が作ったものを食べた気がした。 「ごちそうさまでした」 「いや、こっちこそごちそうさま。美味しかったよ。ごめんね、大した手伝いもできなくて。ケーキ買っておいたんだけど、食べる?」  泉はマリアージュフレールの紅茶を淹れ、洋菓子店で買っておいたいちごのケーキを出した。

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