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第33話

 初めて呑みに行った日の翌日、鳴海は、今度自分のアパートへ遊びに来ないかというメッセージを送ってきた。結城が手土産を持って訪ねて行くと、鳴海は結城のために缶チューハイとピザ、そしてコンビニのプリンを用意して待ってくれていた。決まったコンビニでしか買えないというそのプリンは、鳴海のお気に入りで、とろとろの食感がたまらなかった。  友達の家に上がるのはすごく久しぶりだった。前回以上に話も弾み、プレイステーションでゲームをしたり、漫画を読んだりして過ごしながら楽しく過ごした。この時には既に、はっきり友情と呼べるものが生まれていたと思う。その中で鳴海には結城の何かを探っているような感があった。どうして自分に声をかけてきたのか、訊けば何かしら鳴海は答えてくれるとは思ったが、口にしない方が結びついたばかりのこの関係がうまくいくような気がした。  二人の関係が変わったのは、二度目に鳴海の部屋を訪ねた時のことだった。その日はレンタル配信が開始されたばかりのハリウッドのアクション映画を二人で観ていた。暗い方が画面に集中できるという理由で、鑑賞会は電気を消して行われた。観終わった後、二人は残ったポップコーンとコークハイを口へ運びながらそれぞれ感想を云い合った。鳴海は俳優たちについてのおかしな冗談ばかり云い、自分でも笑っていた。笑い過ぎたせいで、ポップコーンが革張りのソファの上へいくらかにこぼれた。 「ほらもう、ここにも落ちてる」  ポップコーンがソファの上で砕けては厄介なので、結城は前かがみになって鳴海の膝周辺に落ちたそれらを拾って食べた。まだ場の空気は笑いの余韻に満ちていた。部屋が暗いままだったので、結城はエンドロールが流れるテレビ画面の光を頼りにポップコーンを拾った。  鳴海が髪に触れてきた時、結城はてっきり自分の頭にもポップコーンの欠片がついていたのかと思った。けれどその手はなかなか離れなかった。 「電気を()けてもらえる?」  鳴海の方を見ないままそう云いかけた時、首の後ろに触れられて結城は思わず体を離した。かといってこの時はまだ大して身構えておらず、くすぐったさにちょっと驚いただけだった。揶揄(からか)われたのだと思い、顔を上げると予想外に真剣な表情の友人と眼が合った。友人。そのはずだった。  その眼には先程までの親しみとは全く別の何かがあった。誰かにこんな視線を向けられたのは初めてで、結城はこの友達になったばかりの男が何をしようと考えているのか、すぐには分からなかった。だが本能的に、胸元にざわつきを感じた。それは恐れだった。  ソファから立ち上がった結城の肩を、鳴海が掴んで引き寄せてきた。突然のことで、一気に吸い込んだブルガリの香りに結城はむせ返りそうになった。どこかでくしゃりとポップコーンが潰れる乾いた音がした。  あまりに強く抱きしめられた所為で声が出ないでいると、今度は唇を塞がれた。キスをされているのだと気づいた途端、頭が真っ白になった。これが人生で初めてのキスだった。次の瞬間、鳴海の体を突き飛ばしていた。  鳴海の手から逃れても、結城は何も云えなかった。たった今起きたことが衝撃的すぎて混乱しか感じられなかった。 「ごめん、冗談」  ようやく、鳴海の方が口を開いた。ぎこちない笑みを唇に浮かべていたが、彼の言葉は寒々しく室内に響いただけだった。結城が当惑した視線で尚も見つめていると、今度は真面目に鳴海が云った。 「なあ、悪かったって。今のは忘れてよ」 「……忘れて、って」  鳴海は消え入りそうな溜息を吐いた。その表情に懺悔がこもっていた。結城は電気を点けたいと思っていたが、シーリングライトのリモコンがどこにあるのか分からない。  頼むから座ってくれと鳴海に云われ、結城は仕方なく少し離れたところにあるフロアライトのスイッチを点けに行った。その後で注意深くソファに腰を下ろした。 「悪かったよ、ほんとに」 「うん……でもさ、いきなりこんなことされたら、どういうつもりなのか分からないから笑えないよ」  その問いに言葉を喉に詰まらせて鳴海は黙り込んだ。この男がこれほど暗い表情をするなど、結城は思ってもみなかった。電球色の温かみのある光に照らされた彼の顔は、自分自身に絶望しているかのようだった。詰問するような口調になってしまったかと結城は思い直し、更に言葉を続けた。 「あの、別に俺、怒ってはいないから」 「……冗談だって云ったのは嘘。本気だった」 「え?」 「何でかな。たまにお前みたいな奴に出会うんだよ。同じ男だって分かってるのに」 「……どういう意味?」 「俺にも分からない。でも、相手が男だって分かってるのに、先刻みたいなことをしたいって思う時がある。誰にでもってわけじゃない。いつから、どうしてこうなったのかも分からないんだ」  その言葉の中に、この男の懊悩の片鱗を感じ取り、結城は息を呑んだ。 「……そんなこと云われても、って感じだよな。気持ち悪かっただろ、ごめんな」 「いや……驚いただけだよ。気持ち悪いとか、思ってない、から」  それは結城の本心だったのだが、鳴海は気遣われているだけだと思ったらしく、ありがとう、と一言云ってまた黙してしまった。こんな鳴海は嫌だった。見ていられないと思った。 「あの、俺も男が好きだなって思ったことあるから……気持ちは分かるよ」 「えっ?」  厳密に云えば結城は、男を好きになったこと「しか」なかったのだが、自分とまるきりの同類が相手でない限り、自身の真の本質を明かす気にはなれなかった。ただ、今はこの友人に共感して彼を宥めてあげたいと思っていた。

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