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第34話

「それ、ほんと?」  結城が出した助け舟に鳴海は縋りついてきた。 「うん……その時は、俺もかなり悩んだから」 「じゃあ、今、お前にしたこと、軽蔑したりしない?」 「しないよ。そんなに思いつめなくていい」  鳴海はほとんど泣きそうな顔をして安堵の表情を浮かべ、良かった、と云った。 「本当はお前のこと、初めて見た時から気になってたんだよ。あの銭湯の受付で会った時……周りの、他の奴等とはちょっと違って見えた。でも一目惚れとか、まだそこまでじゃなかったんだ。それが……うちの花屋に来てるのを見かけた時、突然、『ああ、いいな。すぐにでも話しかけたいな』って思って、我慢できなかった」  そのたどたどしく正直な感情表現を、結城は純粋に微笑ましく嬉しいと思った。 「ありがとう。最初はちょっと驚いたけど、最近は鳴海が話しかけてくれるの、俺も楽しみにしてたんだよ。実を云うと俺、そんなに友達いないしさ」  結城がほんの少し笑うと、鳴海もつられて同じだけ笑った。 「あのさ、昔、結城が好きだったのってどんな奴?その……男でってことだけど」 「ええと、一つ年上だったよ。大学の時。サークルの先輩だった」 「そいつと、付き合えたらなって思った?」 「うん……でもその人には彼女がいたしね」  だからせめていい後輩でいようとした。役に立ちたいとその先輩からの頼み事は断らなかった。 『お前、いつもはいはいって云うこと聞いてくれるけどさ、ぶっちゃけホモとかじゃないよね?お前の眼つき見てそうなんじゃないかって友達に云われたんだけど』  ある日、半笑いでそんな風に訊かれて結城は死にたくなった。その場はうまく取り繕ったが、その先輩が自分のような人間をどう見ているのかはその言葉ですぐに分かった。でもそんな経験をしたなどとは鳴海に云いたくない。 「俺と付き合うってことは想像できない?」  唐突に鳴海は提案してきた。 「俺さ、お前と会って別れた後、いつも寂しくなるんだよ。もっと一緒にいられたらなって思う。俺だって実際に男と付き合ったことなんてないよ。でも、俺たちまだ二人で遊ぶようになってそんなに経ってないのにこんなに楽しくやれてるだろ?だから、きっとうまくいく気がする」 「……それは、どう、かな。お前のことは好きだけど」 「俺だってお前を見てて、友達で済めばどんなに楽かと思うよ。友達ならずっと一緒にいられる。今まで男を好きになった時は、そう考えて誤魔化してきた。でも、お前相手だと何でか誤魔化せない。近くで見れば見るほど、話せば話すほど好きになる。放っておいたら、お前が他の誰かと付き合っちゃうんじゃないかと思って、めちゃくちゃ不安なんだよ」  それは数分前までの楽しい友人の顔ではなかった。不器用で真剣で他のことなど何も考えられないという真っ直ぐなその表情と言葉に結城は心揺さぶられた。  いつも明るく自分を楽しませてくれた後で、こんな切羽詰まった感情で自分のことを想ってくれていたなんて知らなかった。こんな何もない自分が誰かに熱烈に好かれるなんて考えたこともなかった。それなら自分はどうなのか?鳴海のことをどんな風に、どれだけ好きなのか?  他人に強い感情をぶつけられると、結城は自分の感情が分からなくなる。幼い頃から自分より親の感情を優先しなければならない生育環境にいたため、結城は無意識に自分の感情を麻痺させる癖がついていた。  結城は立ち尽くし、眼の前にいる男が学生だった時のことを想像した。初恋はいつだろう。初めて同性を好きになった時、一人でどれだけ苦しんだのだろうか。同じ思いをしてきた者同士なら、寄り添っていけるかも知れない。この男も自分と同じように傷ついてきたのだ思うと、より自分たちの距離が近づいた気がした。  結城の返事を待ちきれずに、鳴海は手を伸ばしてきた。  顔に触れてきた鳴海の手は真夏のスコールの雨粒のように生温かかった。突然やってきたその体温に、逆らう手立ても見つけられないうちに結城の意識は流された。唇の間から入り込んできた舌は掌よりもう少し熱かった。いつの間に二度目のキスをされていたのか。一度目とは感覚が違った。何もかもが肌に沁み込むようで、結城はあっという間に溶かされて充たされて溺れそうになった。唇を割って入ってきた舌と舌が触れた時、体の芯が溶かされるような浮遊感に襲われ、キスはこんな風にするものなのかと思った。  相手が強い拒絶を示さないと分かると、鳴海はもう待ってくれなかった。一言も発しないまま、結城をすぐ隣の寝台(ベッド)(いざな)い、服を脱がせようとしてきた。 「ちょっと、だめだよ」 「どうして」 「やめようよ。後悔するに決まってる」 「俺はしない。無理はさせないから。約束する」 「でも」 「最後までしなくてもいい。ただ、お前に触りたいんだよ」  既に抑えきれないほどに膨らんだ昂奮を、鳴海はやっとのことで隠していた。この男に引き返す気はない。彼の眼の光だけでそれが分かった。結城は気圧され、強く抵抗できなくなってしまった。  悩んだ末に、結城は自分から着ていたシャツの釦を外し始めた。ここで受け入れなければ鳴海を失うことになると思ったからだった。 「……触るだけだよ」 「分かってる」  皮膚の質感を確かめでもするかのように、鳴海は開いた胸元へ(じか)に手を触れてきた。息を呑むような間の後、その手は鎖骨から肩へと移動し、もう一方の手は脇腹のあたりから腰や背中を撫でてきた。鳴海の瞳に更なる熱が宿り、呼吸の深さが変わっていく。肌の上に彼の唇が下りてきて、匂いを嗅ぐように這った。  他人から強く求められたことのない結城は、自分の体がこれほど熱のこもった愛撫を受けているのが不思議だった。生まれて初めて誰かから必要とされる感覚を味わっていた。これでいいのか。こんな自分で失望されたりしないのか。  ベルトを解こうとしてきた鳴海の手を結城は一度制した。だが、 「頼む、お願いだからここも」  と請われると強く拒めなかった。鳴海が自分と親しくなるために何度も声をかけてくれたことを思えば、体を隅々まで与えることで釣り合いが取れるのかも知れないと思った。  結局、結城はベルトも自ら外し、下着一枚になった。腰骨、大腿、その次に下着の上から敏感な部分を触られて反射的に体が小さく震えた。息を詰めて鳴海を見上げると、忍耐の限界に達した鳴海は覆いかぶさるように結城を抱きしめてきた。

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