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第35話

「したいよ」  もう我慢できないという風に鳴海は結城の耳元で熱い吐息と共に嘆願した。下半身に硬く力強い鳴海の性器が当たるのを感じた。話が違うという思いで、結城は首を振った。 「……無理だよ。そんな急に」 「頼む。痛かったら云えばいい。すぐにやめるから」  鳴海はそう云って結城の下着をずり下ろそうとしてきた。既に昂奮と情念に取り憑かれてしまっていて、強引な荒っぽい手つきで事を進めようとしてくる。散々味見したものを途中で取り上げられてはたまらないと思っているのだろう。結城が体を起こそうとすると、痛いほどの力で押さえつけてきた。今の鳴海に抗うとなると、肉体的に彼を傷つける覚悟が必要だった。  藻掻(もが)く結城の手がナイトテーブルの上にあるスタンドや置き時計に触れたが、鳴海を殴りつけることなどできない。他に有効な解決策も浮かばず、結城は諦めて身を任せた。ただただ自分の愚かさを痛感していた。  鳴海は寝台のどこかから取り出してきたローションを結城の秘所に塗り込み、後背位で挿入を試みてきたが、やはり受け入れる側の結城にしてみれば大変な苦痛だった。  初めてで緊張しているのにも関わらず、鳴海は結城の下半身を慣らすこともせずいきなり性器をあてがってきた。あまりに性急すぎる動作だった。 「あっ……」  鳴海の先端をわずかに受け入れたところで、痛みに耐えきれず結城は小さく声を漏らした。ひどかったのはその後だ。たった一度の苦痛の声が鳴海の秘めた嗜虐心を刺激してしまったのか、彼は何の前触れもなく結城の中へ一気に性器を押し込んできた。  予期しない激痛に襲われ、結城は普段出さないような悲鳴をあげた。太い焼き鏝で何度も刺し貫かれては抜かれる感覚に、錯乱しかけた。必死で鳴海の名前を呼び、何とか行為を押しとどめようとしたものの、彼の耳には全く届いていないようだった。あるいは聞こえないふりをされていたのか。 「……い、痛いって……やめて、ほんとに無理……」 「もう少しさせてくれよ」  返ってきた言葉に結城は絶望した。もうこの男に何を訴えても無駄だと思い、とにかく痛みから逃れたい一心で前へ動いたが腰を掴まれて手加減なしに引き戻された。膨張した性器がより強く体の奥深くを打ちつけ、結城は吐き気まで催してきた。  後孔が温かいもので満たされるのを感じた後、尚も最奥を抉るような動きがあり、直後に鳴海の性器は引き抜かれ解放された。下腹部の内側が痙攣して、たった今鳴海から注ぎ込まれたものを呑み込もうとしているかのようだった。その残滓と、無意識に零れた涙と涎を敷布に垂れ流したまま結城は気を失った。  けれど、そのセックスが一緒に暮らし始めるきっかけになった。  散々な初体験の後、結城が眼を覚ますと鳴海が温めたタオルで体を拭ってくれている最中だった。 「大丈夫?動けるか?水でも飲む?」  慣れない様子で気を遣う鳴海をよそに、結城は無理をして起き上がってみた。腰がだるく、後孔周辺に鈍痛が響く。セックスに対して理想を抱いていたわけではないが、最中に全く自分の意向を聞いてもらえなかったことからくる不信感が結城の中に燻っていた。 「あのさ、すごく良かったよ。想像してたよりもずっと」  意外な言葉を聞いて、結城は鳴海と眼を合わせた。 「肌が合うんだと思う。そのへんの女なんかよりずっといい。相性ってやっぱりあるよ。俺はお前が相手で良かったと思ってる」  そう云って鳴海は結城の手に触れながら微笑んだ。彼の表情に嘘がないことを悟ると、結城は体の痛みも忘れて安堵した。疑心暗鬼になっていた心の霧も晴れていった。長い間、自己否定に繋がっていた大きな要素を、この男は受け入れてくれた。それだけで結城は鳴海と一緒にいたいと思った。 「そうだ、あのプリン買ってあるんだよ。食べよう」  鳴海は照れ臭さを振り払うように冷蔵庫へと向かった。  その晩は鳴海の部屋に泊まった。次の日、結城はバイトに行かなければならなかったが、思いきって今夜もまた来ていいかと訊ねると、もちろん、という答えが返ってきた。  夕方五時過ぎに帰って来た結城とほぼ入れ違いに、鳴海は六時には夜勤のため出かけて行った。出際に、鳴海は昼間のうちに探しておいたという部屋のスペアキーを結城に手渡した。 「好きに過ごしてていいから。もし帰るならこれで鍵閉めといて。でも待っててくれたら嬉しい」  仕事を終えて帰宅するのは深夜二時半頃だと云われたが、結城は迷わず、待ってる、と答えた。鳴海の香水の残り香がする敷布(シーツ)の上に転がって、セックスの反芻をした。確かに痛みはあったが、それで鳴海が自分のことをより好きになってくれるなら構わない。初めて自分が求められている気がして、結城はその充足感に久しぶりに深く眠れた。  その日から三日間、結城は鳴海のアパートにいた。携帯電話の電源を最初の日の夜からずっとオフにしていた。間違いなく母親から電話がかかってきていたはずだが、留守録を確認する気にもなれなかった。  だが三日目の晩、やはり不安になって留守番サービスセンターに電話してみると、一件目の冒頭から、どこで遊び惚けているのだという凄まじい罵声が聞こえてきた。二件目は、給料日をまたいでいるのだから早く家に入れる金をおろして帰って来いとの内容で、あとの三件もおおよそ似たような内容だった。結城はスピーカーモードにしていたわけではないのだが、怒り狂った母の声は同じ部屋にいた鳴海にも聞こえていた。 「何……今の」 「うちの母親はいつもこうなんだよ。もうずっと昔から」  留守録を消去した後、帰り支度を始めた結城の腕を鳴海が掴んで引き止めた。 「もしお前が帰るのが嫌で、ここにいたいなら、ずっといていいけど」 「ずっとって……それはその、いつまで?」 「好きなだけ」 「そんなことしたら、多分もう家には帰れなくなる」 「平気だよ。ここをお前の家にしたらいい」 「それ、本気?」 「本気」  本当に意味が分かっているのかと訊きたくなるほどあっさりした返答だった。 「俺……金だってそんなに持ってないし、もし、お前に迷惑かけるようなことがあったら」 「ああもう。いいから、いろって」  鳴海はもう一方の手でも結城の手首のあたりを掴んだ。強引さを装っていたが、力尽くで引っ張ったりはしなかった。彼は正面から結城の顔を真っ直ぐに見つめてきた。  その時の鳴海の表情を、結城は忘れられない。  雑な言葉と荒っぽく見せた仕草とは裏腹に、鳴海が必死なのが分かった。強気を装った仮面の下の、不安と恥ずかしげな態度が隠しきれていなかった。まるで十二歳ぐらいの男の子が好きな子の反応を窺っている時のような傷つきやすい顔だ。心の最も柔らかい部分を剥き出しにして、今、自分を求めてくれている。  結城が瞬きをして、小さく息を吐いた瞬間、何かを恐れるように鳴海の眼の光が揺らいだ。何か応える代わりにその体を抱きしめると、痛いほどの力で抱きしめ返され、結城はその強さに、この男の切実さを感じた。

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