39 / 60

第39話

 次に葉月とシフトがかぶった時、結城は写真のお礼にと、いつもは鳴海と一緒に食べているコンビニのプリンを葉月に手渡した。売り場に二個置いてあったので、二個あげようと買ったわけだが、葉月は仕事が終わったら一緒に食べましょうと結城に笑いかけてきた。  その日、結城は従業員用のラウンジで葉月と写真についての話をした。 「たかだか写真のために上京させる気はないって、父親はずっと云ってましたね。俺は一人っ子ってこともあって、勉強する気があるなら大学は行かせるって云ってもらえてたんですけど、親としてはもっと生きていく上で役に立つ勉強をして欲しかったんでしょうね。父親が俺に一番行って欲しかった学部は、経済学部か商業学部じゃないかな。母親は外国語学部とかでもいいからって云ってました。推薦で行ける大学を調べてきて、これなら面接と小論文だけで行けるから楽だよ、とか説得しようとしてきましたし。親戚にまで、写真が何の役に立つんだって散々云われたりしました」 「でも……諦めようとは思わなかったんでしょ?」  プリンを食べ終え、結城は訊ねた。 「はい。だってそこで妥協したら、その後ずっと自分の希望とは違う人生を生きていかなきゃいけないわけで、そんなの嫌じゃないですか。それに、両親は最終的に志望校を決める段階になったら理解してくれましたよ。というか、そうしてくれるだろうって分かってましたけどね。いつも何かを決める最後の最後で、あの人たちは俺の意志を尊重してくれるから。でもまあ、意見だけは云わせてあげないと」  少し笑いながら話す葉月が結城は眩しかった。こんな風に親のことを話せるなんて自分にはできないことだと思った。 「喧嘩とかは?」 「しましたよー。そういう時はちょっと親が嫌いになりましたけど。でも世の中って、親に限らずみんな自分の希望があるわけで、物事を自分の都合のいいようにしたいのは一緒ですから。それはもう、お互い様だから仕方がない」  口調とは反対の、その冷めた意見に結城は不意打ちを喰らって、葉月を見つめた。 「うん……確かにそうなのかもね」 「我慢しておいて後から文句を云ったり、ただ黙って本当はこうしたかったなんて気持ちを抱え込んでたりしたって、そんなことは誰も思いやってなんかくれませんから」  結城は葉月の温かい人柄の下に隠れた意外なほど冷静な価値観と、揺るがない信念の強さを知って驚いていた。葉月のバイクに安心して身を任せられるのは、彼の安定した人格が運転技術に表れているからなのかも知れない。 「すごいなあ。葉月くんは意志が強いんだね。俺なんか諦めてばっかりの人生で」  そこまで云って結城は、はっとして言葉を選び直した。 「あの、俺には写真の技術的なことはよく分からないけどさ、葉月くんの写真見て、すごくいいなとは思ってたんだ」 「ありがとうございます」 「ほんとだよ。素人がこんなこと云うのも何様だって感じだけど……実を云うと俺、そんなに世の中がいいものだとは思えないんだよ。でも葉月くんの写真を見てると、きれいなものは身近にいっぱいあるんだなあって思える。何気ない風景が輝く瞬間、みたいな。そういうのを見落としてるのは自分なんじゃないかって教えてくれる。うまく云えないけど、葉月くんの撮った写真には特別な力があるんだよ」  葉月はちょっと驚いたような表情ではあったが、その眼が嬉しさで輝いたのを結城ははっきりと見た。それから照れくさそうにもう一度、ありがとうございます、と云った。 「でもきっと、それは結城さんの眼に、きれいなものを見つけようとする力があるからだと思いますよ」  その日、帰宅すると部屋には鳴海の男友達が来ていた。室内には煙草の煙が充満し、散らかり放題で、よく分からない雑多な臭いに満ちていた。 「なあ、酒買って来てよ」  おかえりの言葉もなしに、悪びれる様子もなく、鳴海は結城にそう頼んできた。帰って来たばかりの結城は一息つきたかったが、友人たちの前で逆らうと鳴海はひどく不機嫌になるので、云われた通りにした。葉月と一緒にいた時の温かな気分は、たちまちしぼんでいった。  鳴海の友達が結城は嫌いだった。男女問わず、鳴海が連れて来る友人たちは皆一様に性格がきつく、けたたましく刺すような笑い声をあげ、人の部屋に来ているのにごみ一つまともに捨てられず、そして当然のように結城の存在を無視するのだった。男友達は女たちのように甲高い声で絶え間なく喋るわけではないが、騒がしいのに変わりはない。  最近まで、まさかこれほど鳴海に知り合いが多いとは結城は思っていなかった。友人たちといる時の鳴海に結城を気遣う様子は全くない。何も知らない友人たちの誰かが結城を『居候さん』などと呼びかけても、訂正するどころか一緒になって笑っている。後になって自尊心が傷つけられたことを訴えても、ほんの冗談じゃないか、というような答えしか返ってこなかった。女の子も含め、仲間のうちの誰かと浮気をしているという感じはなかったが、部屋の隅で孤独を強いられている結城の気持ちを思いやってはくれなかった。  そのくせ、鳴海は結城が外の人間と親しくするのをあまり快く思っていなかった。葉月のおかげで職場の同僚たちと言葉を交わすことも増えたため、メッセージのやりとりをしたり、たまには呑み会に参加しようと思うことが結城にもある。そういう時、鳴海は不機嫌さを露わにした。  あるどしゃ降りの雨の日のことだった。結城は退勤時刻が同じだった葉月とは別の同僚に、車でアパートの前まで送ってもらった。ところが、ちょうど車から降りたところを鳴海に窓から目撃されており、結城は部屋に入った途端ひどく問い詰められた。鳴海は酔っていた。仲間たちと一晩呑み明かした後で、既にみんな帰った後なのにも関わらず、まだだらだらと酒を呑んでいた。 「外見てみなよ。傘なしで一歩外に出ればずぶ濡れになるような天気だったんだから」 「どうしてただの同僚がお前なんかを気にかけるんだよ?」  お前なんか、という部分に反感を覚えながらも、結城は根気強く説明を続けた。先程の同僚は本当に、結城が従業員出口で立ち尽くしているのを見かねて車に乗せてくれただけなのだ。 「最近、たまに帰りが遅くなるのはそいつのせいじゃないのか?」 「何それ、どういう意味?」 「友達ができたんだろ?」  その言葉には結城が思ってもみなかった疑念に充ちていた。友達、というのが言葉通りの意味でないことはすぐに分かった。結城にしてみれば今日のこんなことがきっかけで、鳴海に疑われることになるなど思いもよらなかった。そして自分を粗略に扱うくせに、こういうことはやたらに勘繰ってくる男が理解できなかった。

ともだちにシェアしよう!