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第51話
結城が姿を消して一週間を過ぎると、泉は心配で日々頭痛がするほどになってきた。携帯にかけても、相変わらず無機質な自動音声が流れるだけだった。そもそも、葉月以外に頼れる知人がいるわけでもなく、言葉も通じないパリに本当に一人で向かったのか。
てっきりパリへ行ったものと決めつけていた上、八十万など結城にやってもいい、即座に生活に影響を与えるわけでもないから、という気持ちも手伝って、少し楽観視しすぎていたのではないか。
泉は変だと思われるのを承知で、別件の仕事の帰り道、結城の会社に菓子折りを持って訪ねて行った。
当然、社内に結城の姿はなかった。それどころか以前結城が座っていた席は、パソコンやファイルなどを含め、一切物がなくなっており、人が使用していた形跡が消えていた。そこで近くにいた女性社員に結城のことを訊いてみた。以前の作業の際、結城に案内をしてもらったので声をかけてから帰りたいと云うと、その女性社員は気まずそうに微笑んだ。
「申し訳ありません。結城は先日、退職致しまして」
「えっ、そうなんですか?いつ頃?」
逡巡したその一瞬の表情で、泉はいい女に当たったと思った。優しそうで、こちらの感情を読み取ろうとするタイプだ。
「すみません、あの……結城さんには、前回こちらに伺った時も電話でもとても親切にして頂いたので、一言お礼を云いたかったんですが」
「そうですか……あの、私が云ったって云わないで下さいね」
その女性社員の話では、結城は先週、突然電話で退職の申し入れをしてきたのだという。
「先週だったかな。突然、電話で家族に介護をしなきゃいけない人がいるって。そんな急にとは思ったんですけど、上司がすぐに了承しちゃったみたいなんですよ。そんなわけで急に人員が減っちゃったので、近々派遣社員を頼むことにしたんです」
恐らく、介護が本当のことなら仕方ないし、嘘だったとしてもやる気のない人間を説得してまで雇い続ける理由はないということなのだろう。ドライというよりは、実に人間味のない冷たい会社だと泉は思った。
葉月涼という人物を検索してみても、同姓同名の複数の別人のSNSがヒットするだけで、何の手掛かりも得られなかった。
泉は改めて自分は結城について何も知らなかったのだということを思い知らされた。
かといってどうすれば良かったのか。結城は不透明な硝子モザイクのような男だった。あんな複雑な輝きを放つ男を、どういう風に愛するのが正解だったのだろう。間違って力を加えれば粉々になってしまうような危うさが彼にはあった。
泉は出会った時から結城が背負っている傷に気づいていた。彼がひた隠す痛みを癒せなくても、ほんの一時でも慰めることができれば、泉は本望だった。
結城がうまく人間関係を築けなかった分、最愛の人間を失った分、自分が何百人分もの愛をもって、誰よりも強く繋がろう。どんな犠牲を払っても揺るがない、そんな愛を持てるのは海晴に対してだけだと思っていた。ただ、あの子への愛情は遺伝子に組み込まれた宿命的であり本能に従ったものであるのに対して、結城に対する愛情は運命に逆らうような、紛れもない泉自身の意志だった。ツインレイ?魂の片割れ?糞くらえだ。
泉は大崎南と話してみようと思った。比較的仕事の落ち着いている日に時間有給を使い、早めに家へ帰って、まず大崎南について調べることにした。
ネットで検索をかけると候補の一番上に本人の事務所のホームページが出てきた。泉はすぐに記載されていた事務所の代表番号に電話をかけてみたが、応対に出た女性は最初から感じが悪く、泉が取引先でも業者でもないことを知ると、個人の方からの連絡は問い合わせフォームからメールを送って頂くよう記載があるはずだが、と切るような口調で云った。
「結城朔矢さんのことについてお話したいんです。それと、以前そちらに勤めていた葉月涼さんのことについても。先生がご入院中であることは聞いていますが、こちらも緊急事態なんです」
結城朔矢、葉月涼、入院、緊急事態。どの言葉に反応したのかは分からないが、相手は一瞬口を噤んだ。その後で、一度こちらで確認をとらせてもらうので時間が欲しい、と云われた。
「泉道隆と申します。結城朔矢さんの知人だと大崎先生にはお伝え下さい」
それから電話番号を伝えて泉は電話を切った。約一時間後、折り返しの電話がかかってきた。
「もしもし、大崎と申しますが、初めまして」
病人とは思えないような張りのある、そして何より有名人であることを鼻にかけないような、人当たりの良い声が電話の向こうから聞こえてきた。入院中に連絡などするべきではないと思ったが、と泉が前置きをすると、いえいえ、と彼は応えた。先程の女性より大崎南の方がずっと感じが良かった。
「今日は割と調子が良い方なんです。それで今、事務所のスタッフから聞いたんですけど、泉さんは結城くんのお知り合いなんですよね?」
「はい、友人です」
「緊急事態っていうのは」
泉は結城の行方が数日前から分からなくなっていることを伝えた。携帯電話は繋がらず、会社も退職している上に、アパートにも帰った形跡がない、突然のことで困惑している、と。
「すみません、緊急事態は云いすぎかなと思ったんですが、そうでも云わないと先生に繋いでもらえないと思ったんです。結城くんの行き先について、お心当たりはないでしょうか」
「ええ?いや、ちょっと前に見舞いに来てくれて、色々話はしましたけどね。何処かに行くとか、そんなことは一切云ってなかったから」
泉は結城が葉月涼を探しに行った可能性を話した。更に自分が電話してきたことの理由として、結城に相談されていくらか金を貸したばかりだったということを伝えた。
「貸した金に関しては別にいいんです。ただ急にいなくなって会社まで辞めてたなんて、心配で」
そこで少し間があった。
「泉さん、失礼ですがあなたは結城くんと、どういうご関係なんですかね?」
先程に較べて大崎の声は少し低くなっていた。
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