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第5話 情交の果て 其の五
左右対称に付けられた計八本の傷痕は、引っ掻き傷だ。
少し日焼けした精悍な背中に、くっきりと残るそれは、見ているだけでいたたまれなかった。
いつ引っ掻いてしまったのか、香彩 はあまりよく覚えていない。
朧気に覚えているのは、このまま胎内 で達 けと、熱い吐息と共に耳に吹き込まれたその言葉。そして人形 のまま出した竜の尾の先端で、快楽の出口を塞がれて、まるで堕ちて行きそうな深い深い悦楽を感じて、耐えきれずに竜紅人 にしがみついたことだ。
きっとその時に引っ掻いてしまったのだろう八本の傷は、下へ行くほど深い。引っ掻いた後に、その場所で爪を立てたのだろう。打ち付ける腰の強さや快楽を耐えて堪えて、そして我慢ならなかった証だ。
痛みと快楽のままに爪を立てて、自分のものだと主張したい。
そう思っていた。
だが実際に背中に付いた引っ掻き傷を目の当たりにすると、恥ずかしくて堪らない。
竜紅人からすると、そのつもりはないだろうが、お前が快楽のあまりに付けた傷だと、見せ付けられているような気分になる。
(……痛……そう)
八本の赤い線のような傷痕。
もし次があるのなら、爪を立てないように気を付けようと香彩 は思う。
(もし……治せる方法があるのなら治したいな……)
自分がいたたまれないのもあるが、何よりとても痛そうな傷を付けてしまったことに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
あの癒しの力を使えたらいいのにと思う。
神気には傷を癒す力がある。
普段、竜紅人が傷を治す時は、傷に手を翳して神気で包み込むようにして治す。きん、とした冬の澄み切った空気のように感じられる神気。その中に感じられる癒しのあたたかさが、まるで冬の日差しのようだと思ったことがある。
(……あんな風に治せたらいいのに)
甘水を溶かし込んだかのような、甘い、甘い唾液。
その濃厚な甘さは決して、癒しや酩酊効果のある神気だけの所為ではないと、香彩は分かっていた。
彼だから更に甘く感じて、際限なく啜り舐めたくなるのだ。
そんな飴菓子を溶かしたような、甘い唾液をこの舌で受け取って。
あの引っ掻き傷の一本一本を、丁寧に舐めて治すことが出来たらいいのに。
竜紅人が、障子戸の辺りで歩みを止める。
よく見ると近くに卓子 があり、その上には水差しの他にも、湯気の立つ盥盆 や、何枚か積み重なった大きな白い布のような物が見えた。
気を失ってしまったから、ここで身を清めようとしてくれていたのだと分かって、心が温かい気持ちになる。
同時に、もしもあのまま目が覚めなかったら、身体の隅々を見られ、清められていたのだと思うと、何処か身の置き所のないような気分になった。
今更だろうと、頭の隅でそう思う自分がいる。
想い人の前で晒した一糸纏わぬ姿。艶やかな喜悦の声を聞かれ、きっと触れられなかった場所などないくらいに、熱い手や舌で愛でられた。
だから今更だと思うのに、何故か堪らなく恥ずかしい。
水差しの中の水を、茶杯へ注ぐ音が聞こえた。
その何気ない仕草。
竜紅人の伽羅色の長い髪が、さらりと揺れる。
「──……っ!」
纏うもののない鍛えられた上半身が、月明かりの中で浮かび上がる様は、艶美であり佳麗であった。
なんて綺麗なんだろうと、香彩は思う。
こんな恐ろしく綺麗な人に、つい先程まで足を割られ、奥の奥まで暴かれていたのだと思うと、恥ずかしくて堪らない。
堪らないというのに、身体は竜紅人の熱の残滓を思い出し、どくりと脈打つようだった。
(……もしかして反応し始めてる……?)
彼の熱の残滓は、何かを探すかのように、何かを求め呼ぶかのように、彼の神気に反応する。
ぐうるりと。
腹の奥が蠢く。
「……大丈夫か? 香彩」
茶杯を持った竜紅人が、香彩の側に座る。
心配そうな顔をしていた。
もう片方の手で軽く頭を撫で、手櫛で前髪から掻き上げるようにして、髪を梳く竜紅人に、香彩はふんわりと笑って、大丈夫だよと答える。
やはり声は掠れたままだ。
形の良い長い指が、髪の中を通る。
その手の温かさに気持ち良さに、ぼぉうとしながらも竜紅人を見ていると、彼は茶杯を傾けて水を口に含んでいた。
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