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第18話 夢囚 其の一★

 頭の中に流れてくるのは、あの時の淫行だった。    あの時はどうしても耐えることが出来なかった。  あれは結ばれる前のこと。  城下街紅麗の遊楼に、竜紅人(りゅこうと)の想い人がいるのだと噂が立った時、香彩(かさい)は初めは信じていなかった。  だがある時、香彩は見てしまったのだ。  紅麗の装飾品を取り扱う屋台で、彼は神桜をあしらった綾紐を買い、そのまま見世の中へと入って行くのを。  香彩は足元から崩れ落ちて行くかの様な、世界が崩れ去っていくかの様な気分を味わった。  それからというもの、だんだんと食べ物を受け付けなくなり、ついには眠れなくなった。友人に無理矢理、薬屋に連れて行かれ、滋養の薬と眠り薬を処方されて、何とか持ち直してはいたが、ある決定打が香彩を追い詰める。  香彩は竜紅人から贈り物をされた。  彼が想い人に贈った物と同じ、神桜の綾紐を。    想う心を無くそうと思った。  だがその前に思い出が欲しいと思った。  彼の側に立つのが自分でなくとも、一夜の思い出を縁:(よすが)に生きていけると思った。  だから眠り薬で彼を眠らせて、彼を咥え込んで。  彼に下から強く突き上げられて果てて、胎内(なか)を甘く灼かれて……。  あの時のことを第三者的な目で『()』ていることに、香彩は思わずいたたまれない気分になった。  ただあの時と違うのは。  眠り薬の効果が切れたのか。繋がったまま起き上がった竜紅人が、驚愕し震えている香彩に対して、反抗を赦さないとばかりの接吻(くちづけ)を交わしていた。  僅かに唇が離れて、合間に囁かれる言葉。  好きだ。ずっとこうしたかった。  香彩は幸せそうに笑みを浮かべて、やがて彼もまた笑い。  そこで夢は終わる……。  飛び起きた彼からは、後悔と喪失感が伝わってきた。  乳飲み子の時から育ててきた者に対して劣情を抱き、より鮮明な夢を見てしまった後悔。そして夢とは思えないほどの目合(まぐあい)と、想いが通じた幸福。  それが全て夢だったのだと知って、彼は自身を嗤っていた。  思い出される夢の内容に、片手で額を押さえて天を仰ぐ。  自身を包み込んだ胎内(なか)の温かさや、甘く啼く声。  夢にしてはあまりにも現実感がありすぎて、夢だったのか現実だったのかそれすらも分からない。 (……厳しい夢、だ……!)  苦し気な彼の声は、香彩の心を締め付ける。  だが部屋に残された甘い神桜の残香。  これは昨日、自分が贈った綾紐のものだろうか。神桜の綾紐は流石は色街で売っているだけあり、自身が昂れば昂るほど、香りは匂い立つ。  もしかして。  あの夢の全てがそうではないにしろ、もしかしたら現実だったのではないか。  彼はこの香りに、一縷の望みをかけたのだ。    香彩は、やるせない気持ちと後悔の気持ちが相俟って、竜紅人の頭を強く抱き締め直す。    月の光を浴びた伽羅色の髪は、綺羅綺羅とした輝きを放っていた。指の間をさらりと滑る金糸にも似た髪の感触を、香彩は慈しむように(くしけず)る。  あの時、眠り薬が見せた夢現(ゆめうつつ)が、こんなにも竜紅人の中に深く入り込んでいるなんて、思いも寄らなかったのだ。  最後に想い出が欲しいと、自分の身勝手な我儘の所為で。  香彩はそっと竜紅人の身体を押し返して、上体を上げる動作をする。香彩が何をしたいのか察した竜紅人は、ゆっくりと香彩の身体を抱え上げて支えた。  竜紅人が見た夢の最後と同じように、座ったまま向き合って繋がる。  香彩は再び竜紅人の髪を(くしけず)りながら、彼の額に瞼に、綺麗な鼻梁に、唇でそっと触れた。  こうして触れて存在を確かめることが出来る、それのどれだけ喜ばしいことだろう。  どれだけ愛しいことだろう。 「……好き……好きだよ、竜紅人」  側にいて想いを通わせることが出来る、その愛おしさに、香彩は顔を少し傾けて、啄むだけの接吻(くちづけ)を竜紅人の唇に落とした。 「……夢じゃないって分かるまで、僕で……確かめて、ほしい。竜紅人」

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