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第22話 待ち人
抱き上げてみて、驚くほど香彩 は軽いと竜紅人 は思った。どれくらいの間、食欲をなくしていたのかと思うと、それだけで申し訳なく堪らない気持ちになる。
だがそれほどまでに想われていたのだと思うと、竜紅人の心の中には愛しさと、そしてある種の征服感のようなものを感じてしまうのも、また事実だった。
すっかり眠ってしまった香彩を横抱きにして、湯から上げる。
脱衣場に移動してから、香を抱き締める腕に、ほんの少し神気を込めて、自分と香彩に付いていた水滴を飛ばした。
お互いに着替えがなかったので、元々湯殿に入る為に着る湯浴衣を着替え代わりにする。
竜の尾と自身の腕で支えながら、先に香彩の着替えを済まし、自分は湯浴衣の下に下袴を履いて、腰紐をきつく締めた。
ああ、気配がする。
一体いつから待っていたというのか。
こんな時に何の用だと言う気はなかった。彼もまた用事がなければ、こんな時にこんな所へなど、来たくはなかっただろうから。
(……こんな睦言の気配のする、濃厚な場所など)
何も用事もなく、こんな刻時に出向くなど、用がなければ単なる嫌がらせではないか。
香彩を再び横抱きにして、先程の部屋へと戻る。
その寝所の酷い有り様に、竜紅人はため息をつきながらも、妙に心が昂るのを隠しきれなかった。
香彩を少し離れた所で下ろしてから、竜紅人は古い敷栲 を、予め持ってきていた新しい敷栲 と取り替える。
改めて香彩をそこへ寝かせて、頭から被ってしまわないように、腕を出して新しい上掛けを掛ける。
無理を強いた所為か、香彩は目覚める様子がなかった。
「……すまない」
そう言葉にしながら竜紅人は、香彩の髪を一頻り撫でて、その柔らかな額に接吻 を落とす。
これからも酷い嫉妬をして、無理をさせてしまうかもしれない。
それでも。
「……それでも俺は、もう……お前を手放すことは出来ない」
この心の奥に沈殿していく、嫉妬の原因の根本なんて、分かり切っている。
そう近い将来に。
(……お前が俺以外の奴に、足を開かないといけないのだと、分かっているから)
それは香彩が生まれた時から決められた決定事項だ。
『力』を継承する、成人の儀。
縛魔師 の筆頭、大司徒 は中枢楼閣の四つの門を護る式神、四神を従えている。
そして四神達の『力』を借りた、城を覆い尽くす程の甚大な護守 の力。これらは全て大司徒 の身体に宿るのだ。
それは引き継がれてきた、伝承法。
それは大司徒 の『力』の源でもあり塊でもある、『精』に宿る四神と護守を、身体の奥深くに受け取ること。
そう、契るのだ。
だが香彩はそれを知らない。知ってはいけない習わしだ。
知らさせるのは、その時が来る直前。
だから意識せずに、無邪気にも甘えてその者に懐く。
だから余計に、嫉妬する。
嫉妬して、その強い気持ちのまま抱いて。
その時が来たら、自分の匂いしかしないように、自分の熱を抱えさせたまま差し出すしかない。
(……あれは俺のだ……!!)
竜紅人は自身の寝所を後にした。
いつの間に降り出したのだろうか。
粒の小さい絹の糸の様な優しい雨が、中庭の神桜に潤いを与えていた。普段であればその光景を綺麗だと思っただろう。
苦々しくそれを見遣って、屋敷内の渡床 を、気配を辿りながら歩を進める。
香彩のいる寝所から、一番遠い部屋を選んだのは、きっと香彩に対する配慮だったのだろう。
竜紅人は部屋の引き戸を、そっと開け、中へと入る。
最低限の紅麗燈の灯された部屋で、彼は長椅子に掛けたまま、何かを強く迫るような目付きで竜紅人を見詰めていた。
そのあまりの居た堪れなさに、竜紅人はその場で両膝を付き、頭を下げる。
蒼竜の館には結界が張ってあった。
温度差の苦手な真竜の為に、一定の暖かさを保つ為の結界であり、また外部からこの蒼竜の館を隠す為の結界でもあった。
ここに入れるのは、蒼竜と蒼竜に近しい者のみ。
そしてこの結界を張り続けている者のみ。
「……随分と待たせてくれたものだ」
面白そうにくつくつと笑いながら、睥睨の目で大司徒、紫雨 はそう言ったのだ。
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