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第24話 罪の証 其の二

 その動作ひとつひとつを見逃さないとばかりに、睥睨し威圧する紫雨(むらさめ)の様子に、(りょう)は無言のまま、こくりと、頷いた。  紫雨は奥座敷の中に、竜紅人(りゅこうと)と関わりのある、地上に生まれ落ちた真竜の遊姫がいて、自分達が会いにいったことを知っている。  だがその遊姫がどういった存在なのか、そして先程その奥座敷の部屋の中で何があったのかまでは、知らないらしい。  果たしてどこまで話すべきなのだろうと、療は頭の中で考えを巡らせる。  何せ真竜が犯した禁忌だ。本来なら人に知らせるべきではない。しかも禁忌を犯して生まれ落ちた仔は、彼の息子である香彩(かさい)に瓜二つなのだ。  それを紅麗の遊楼の奥座敷に隠して、たとて神気の補充の為とはいえ、会っていたのだから、紫雨にとっては複雑な話だろう。 (……それに香彩には、何も言わなかったけど)  執着と独占欲の果てに生み出した想い人の女体に対して、本当に何もなかったのだと思うのだろうか。そうだと言えるのだろうか。 (──()()からは、微かに竜紅人の匂いがした)  もう儚く消えそうな程、かなり薄くなってはいたけれども、竜紅人の気配の中に紛れて確かに感じた匂い。それがどういう意味なのか分からないほど、療は子供ではなかった。  そして香彩もまた、直感のようなもので悟ったのだと療は理解している。  だから初めて()()に出会った時に、泣く気配すら見せずに、まるで疲れてしまった心を洗い流すかのような、ただただ静かな涙を流したのだ。  その後()()の正体と、竜紅人の想いを知って香彩は、心の中でどう折り合いを付けたのか分からない。  だがあの時流した香彩の涙を、療は一生忘れないだろうと思った。  人は傷を癒すように静かに泣きながらも、慈愛に満ちた目をすることができる生き物だと、知ってしまったから。 (……本当、竜ちゃんにも見せてやりたかったよ)  あの泣き顔を見ていたら、竜形のまま鷲掴みにして連れ去るなんて真似など、出来ないはずだ。 (本当……分かってるのかな)   自分がどれだけ酷いことをしていたのか、竜紅人は理解しているのだろうか。 (まぁ……それだけ必死だったんだろうけど)  だがきっと香彩の心が納得できれば、香彩が包み込むように全て赦してしまうのだろうと、容易に想像が付く。  好きで堪らないのだと、散々話を聞かされて相談に乗ってきたのだ。 (オイラにもそろそろ味方がほしいよね)  ふたりの間に立ってきたけれども、出来れば自分の後ろに、竜紅人と香彩が太刀打ちできない人がいてくれればいいと、療は思った。ふたりが敵わず、叱咤することが出来る人物など、たったひとりしかいない。  療は真竜としての禁忌よりも、ふたりの友人であることを選んだのだ。   「今からさ、奥座敷にいる遊姫をオイラの『中』に還しに行くけど……来る?」  療の言葉に紫雨が怪訝そうに目を見張る。 「真竜絡みで人を招き入れるなど、珍しいこともあるものだ、療」 「……本当なら内々に済ませて報告だけって思ってたんだけどね……やっぱり香彩が絡んでいる以上、紫雨も見て知っておいた方がいいと思って」  竜紅人が生み出したものを。  そして奥座敷で何があったのかを。  いずれ紫雨もまた(のち)に、独自の情報網を使って事実を知るだろう。その時に事前に知っていたのと知らなかったのとでは、受け止め方が変わってくるに違いない。  酸いも甘いも噛み分けた紫雨だからこそ、竜紅人の複雑な執着を、その成れの果てを理解できるのではないかと、療は思った。  療からすれば、たとえ姿が香彩に瓜二つだとしても、自身の分身ともいえる存在に、交合することが理解出来ない。それはもはや遠回りな自慰だ。  そしてそう遠くない未来に、早ければ今晩中にでも全てを赦してしまうだろう香彩にも療は、理解し難いものを感じていた。  お互いが良ければそれでいいのだと思う。  ふたりともすれ違ってはいたが、想い合ってるのは事実だから。  奥座敷の真竜に香彩が絡んでいると知った紫雨は、療の言葉に対して刹那の間があったが、やはりな、と呟いた。 「──香彩に妄執にも似たものを持っている奴のことだ。奥座敷に通い詰めている理由も、あいつに関してのことだとは思っていたが……立派な所有印を残しておきながら、あいつを苦しめていた理由にはならないな」 「あ──……竜ちゃん殴ったって聞いたけど……もしかしなくても、眠り薬のこと……」  知ってた?  饒舌な療にしては珍しく、口の中で声が籠るような物言いをした。  それもそのはずだ。  療がその言葉を口にした途端、目付きの鋭い紫雨の深翠色の瞳が、まるで視線だけで射貫くように、療を見ていたのだ。  ごくりと療は、知らず知らずの内に唾を呑む。  何かされたわけではない。  それだというのに、普段から強く迫るような目をしている者が、その圧を増すだけでこんなにも迫力が変わるのかと療は思う。  療の憶測は当たりだった。  それは確かに殴るだろう。    香彩は一時期毎日のように、眠り薬を飲んでいた。薬を飲んだ時だけ、遊楼にいる彼を忘れて眠れるのだと言って。やがて飲む回数は減ったが薬に慣れた身体は、通常の眠り薬では効かなくなった。処方された眠り薬はかなり強めの物だったと療は聞いている。  紫雨がいつそのことを知ったのか、療は分からない。だが香彩から聞いていたのだ。  香彩が強めの眠り薬を飲んでいたこと知った竜紅人が、紫雨に相談して、面倒を見る為に同室にしたことを。  ふたりの間に、どんな遣り取りがあったのか分からない。  だが眠り薬を飲んだ原因が竜紅人にあると知ったのなら、紫雨が咄嗟に殴ってしまったのも頷ける。   療はわざとらしく、大きなため息をついた。 「……よく同室、許したよね」  療の言葉に、険を帯びていた紫雨の目が僅かながらに緩む。 「致し方ない、と言った方がまだ懸命か? 悔しいことに、あいつが昔から求めているのは、唯一人だ」 「……だよねぇ。同室になって顔色、すごく良くなったし、色々悩んでたけど前よりは、いい顔するようになったもんねぇ」  何より香彩の明らかな変化を、側でずっと見ていたのは療だ。  何やら苦い表情を浮かべながら、紫雨は短く嘆息すると、右手を上空へと掲げる。  白虎、と。  彼の呼び掛けに、春風(しゅんぷう)に紛れ応じ参上したのは、柔らかそうな白い毛並みに、黒い縞模様を持った、大きな虎竜だ。  白虎は本来の主を前にして粛然と控え、その命を待っている。  香彩と仲が良いとはいえ、先程と打って変わった態度に療は苦笑した。いくら気安い性格の白虎と言えども、主に対しては弁えているらしい。  そんな白虎の頭を、紫雨の骨張った手が、そっと撫でる。 「……すまんな白虎よ。さっきも駆けて貰ったと思うが今一度、紅麗まで頼む」  紫雨の言葉に、白虎は承知したとばかりに唸り声を上げたのだ。

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