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第25話 罪の証 其の三

   白虎の背に乗り、地を駆け宙を駆ける。  この虎竜に何度、紅麗に連れて行って貰っただろうかと、(りょう)はふと思う。  その時は香彩(かさい)の背中を、支えながら乗ることが多かった。香彩が精神的に弱っていたこともあるが、普段の時でも体格差の為か、いつの間にか自然と香彩が前になる。背は療の方がほんの少し高い程度だったが、体格はどちらかというと療の方が筋肉質だ。  だから今、紫雨(むらさめ)に事情を説明しながらも、背中に感じる温もりというものが、どうも慣れない。そして背中を支えて貰うことが、どうも慣れない。  紫雨との体格差でそうなるのは分かっていたのに、彼の腕の中にすっぽりと収まって、どこか安心している自分が不思議で仕方ないと療は思った。    今まであった出来事や、桜香(おうか)のこと、その姿のことなど、ある程度の事情を説明し終わる頃に、紅麗に到着する。  紫雨が白虎に労いの言葉をかけると、それに応えるように白虎は咆哮し、春風の中に掻き消えた。  それを見計らったように、くつくつと低いながら紅麗の大通りに向かって歩き出す紫雨に、療はぎょっとしながらも、横に並んで歩き出す。  紅麗は夜の賑わいを見せていた。  仕事を終えた者達が、屋台で肉を食み、酒を食らい、機嫌良く大声で話す声が聞こえる。  そしてこの刻時から、特に賑わいを見せるのが、大通りをひとつ入った小通りの奥。  紅麗の遊楼街だ。 「……竜紅人(りゅこうと)(えん)なことだ」  楼主に再び奥座敷へと通して貰い、その門戸を閉めた所で、紫雨が面白そうに再びくつくつと笑いながら、そう言った。 「好いた者の形貌(なりかたち)をしたものを生み出して、隠して通って囲うなど、実に艶なことよ。羨ましい限りだな」 「囲う……って」 「……ん? 事実だろう?」  「いや、事実だけど……」  あまりの身も蓋もない言い方に、療がげんなりとする。療のその反応すら面白いとばかりに、質の悪い笑みを向けられて、療は嫌そうに大きなため息をついた。  竜紅人が何かと、紫雨に噛み付いている光景を見たことはあったが、今となってはその気持ちがとてもよく分かる。  そして噛み付いた分だけ面白がって、倍返しに余計に構われることも、竜紅人を見てよく分かっていたのだ。  だからある程度は、受け流した方がいい。  そして思い出すのだ。  同様の被害を香彩と、上司の咲蘭(さくらん)も受けているのに、ふたりともあしらい方、いなし方が大変上手かったことを。  仕事でよく顔を合わせるふたりだ。  特に香彩に至っては、ついこの前まで寝食を共にしていたのだから、あしらわないとやっていられなかったのだろうと想像出来る。 (……まともに反応しちゃいけないって分かってるけどさ)  紫雨は嫌ではないんだろうか、内心は複雑なのではと、療は思う。  ここに来るまでに、ある程度の事情は話したつもりだった。これから会う桜香(おうか)のことも含めて全て。  紫雨の言葉を借りるとしたら、まさに『囲われている』のは愛息の姿をしている者なのだから。   そう思っていたのだが。 「現世(うつしよ)では心を通わせることなど叶わない。だが格式高い紅麗の奥座敷という夢現(ゆめうつつ)の空間の中、好いた者の形貌(なりかたち)をした、自分の為だけの存在がいる。その者を愛でながら飲む酒は、いっそのこと廃退的に酔いしれて旨かろうよ」  是非とも味わってみたいものだ。  とても楽しそうに、くつくつと笑いながらそう言う紫雨に、いらぬ心配だったかと心の底からげんなりしながら、療はそう思った。  だが妙に実感を伴ったような言い方に、そんな願望でもあるのかと、ちらりと紫雨を横目で見遣る。  彫りの深い端正な横顔が目に入る。  笑う口元とは裏腹に、深翠色の瞳はどこか憂いに満ちて揺れているようにも見えて、療は胸が痛くなった。  覚えのある、その愁意の色。 (……そうだ……香彩が……)  竜紅人のことで思い悩む時に、よくこんな瞳をしていたことを、療は思い出す。 (やっぱり似てるんだなぁ、こういうところ)  笑っているのに、その瞳の奥に見え隠れするのは、掻き乱された愁傷の心だ。  紫雨と、療は名前を呼んだ。  本当そう、思うの? と問いかければ、深い翠水がこちらを向く。  刹那の笑みに、心を鷲掴みにされたような気がした。  まさに、がらんどうな心をそのまま笑みにのせた様な、笑い方だった。それはすぐに人を揶揄う、いつもの彼らしい質の悪いものに戻ったが、その深翠色は雄弁に彼の哀感を語っていた。  まるで荒れ狂う寂しさを、必死で押さえ付けながら遣り過ごし、いつの間にか寂しさそのものを忘れてしまったかのような、そんな寂寥の思いを感じて、胸が締め付けられるようだった。  紫雨の表情はいつもと変わらないように見える分、余計に辛いのだと療は思う。  そんな療の素直な気持ちが、表情に現れていたのだろうか。  ふ、と紫雨が力を抜いたような、自然な笑みを療に見せた。

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