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第32話 縁結と祀竜 其の五

   雪神(ゆきがみ)の言いたいことはよく分かるのだと、(りょう)は思った。雪神(ゆきがみ)雨神(あまがみ)はいま、桜香(おうか)の光の玉の願いを聞いて、香彩(かさい)の『核』へ引き寄せられる縁の力を、半ば強引に『春の訪れと生命を司る真竜』としての権限を使って遮断している状態だ。  だが(えにし)の力は強い。  どんなに生命を司る真竜の神気を()ってしても、雨神(うじん)の儀の契約の際に、直接香彩の内に……夢床(ゆめどの)という、意識の奥に存在する、潜在意識の眠る自我の矜持の場所へ降り立ってしまえば、そこはもう香彩の領域だ。(えにし)の力を遮断していた神気など物ともせずに、光の玉は『核』へ結び付こうとするだろう。  何も準備しなければ、この時点で香彩の持つ『術力』は養分として『核』に吸いとられ、香彩は『力』を失うことになる。  やがて新たに生み出される命は、『術力』など受け継がず、むしろ餌にした真竜だ。  『術力』がなければ様々な真竜達による『祀りによる契約』が出来ないのは、まさに食わせる餌がない状態だからだ。  しかも『祀り』の餌は、より上質のものを好む傾向があった。    (いにしえ)より続く、人と竜と鬼の連鎖、というものがある。  鬼は人を喰う。  竜は鬼を喰らい、人に加護を(もたら)す。  人は、彼らを使役する術を持ち。  使役を終えた鬼と竜は。  褒美に人を喰らう。  使役された鬼は褒美に人そのものを喰らうが、竜は使役に利用させる力、『術力』を喰らうのだ。 (……竜は、鬼の肉体と人の『術力』を喰らい、それを神気に変えて、盟約通りに人を護る)  ではその餌がなくなってしまえばどうなるのか、想像に難くない。 「──……了解した。近日中に『成人の儀』を執り行うことを、約束する」  紫雨(むらさめ)の固く冷たい低い声が、やけに大きく部屋の中に響いた気がした。  まるで刑を言い渡す、大司冠(だいしこう)官のようだと療は思った。そこに私情はなく、そして表情も一切変えることもなく、淡々と述べられる言葉が療の胸を突く。  どんなに自分に雄大とも謳われる神気がこの身に宿っていても、香彩の『術力』を護る力すらなければ、(ことわり)や祀りを変える力などない。  ただ()るだけだ。  ただ()って、この身に宿る神気を以《も》って、他の真竜を律し、力尽きた彼らを迎え入れ、新たな命へと還らせるだけ。  無力さを、痛感する。  どうしようもなく。  痛感してしまうのだ。 (……あのふたり、やっと心を通わせたばかりなのに)  変なところで捻くれていて素直になれなかった香彩と、想いの欠片を生み出してしまうほどの、執着と激しい想いを抱えた竜紅人(りゅこうと)が、ようやく擦れ違うことなく話が出来たのだ。そして想いを通わせた。  だが竜紅人も真竜として、香彩の今後を知っていたはずだ。  香彩が十八になった時から、一度はその身を明け渡さないといけないのだと、知っていたはずだ。   十八という、親や親代わりからの庇護を離れ、様々なことを自分の責任において行える歳、子供から大人になる歳を迎えたら、すぐにではなくとも、仕来(しきた)り通りに『十八歳』の間のどこかで、儀式が行われることも分かっていたはずだ。  『核』さえなければと、療は己の役割に反することを脳裏に描いて、(かぶり)を振った。だがそう思わずにはいられないのは、上位の真竜という立場よりも、彼らの友人で()りたいと思うからだ。 (……そう、『核』さえなければ)  まるで上からの命令を、早期に服従するような成人の儀にはならなかったはずだ。 (誰も……悪くないって分かってるのに)   この場にいない、無意識の内に『核』を生み出してしまった竜紅人に、今の遣り切れない思いをぶつけてしまいたい衝動に駆られる。 (竜ちゃんは悪くない……けど)   いずれ自分の『御手付(みてつ)き』を紫雨に明け渡す。そのことで激情に近い嫉妬心に身を灼き、焦燥にも似た心によって、発情期に近い状態を生み出していたのだとしたら、同族の雄として竜紅人の心内は理解できるのだ。  真竜は嫉妬深い生き物だ。  特に発情期や発情期に近い状態では、それが顕著に現れる。 (悪くないけど……馬鹿っ! ぐらいは言いたいよね)  きっと竜紅人は気付いていない。  香彩の内に『核』を生み出したことを。  だから成人の儀のことも、香彩が十九になるまでのどこかでと思い、嫉妬をしながらも覚悟していたはずだ。 (だから……こんなにすぐだなんて)  思いもしなかったはずだ。  遣り切れない思いを内に抱えて、療はじっと紫雨の顔を見つめていた。  その表情からは心内に何を思うのか、やはり読めない。  だが紫雨が、雨神(あまがみ)雪神(ゆきがみ)に対して(いら)えを返したのなら、それはもう盟約だ。  言葉には(こん)が宿る。  (こと)()に『術力』を宿し、真竜の神気を誓願して、『力』を織り成す縛魔師(ばくまし)と。  (こと)()に『神気』を宿し、自分よりも下位の竜を(こえ)で縛る真竜。  その二つの種族が交わす約束は、(こん)の持つ見えない鎖によって縛られる。破ればその鎖は、雁字搦めに身体と心に絡み付き、身体を蝕むことになるだろう。  両者が言葉を交わしたのならば、療はそれをもう見守るしかない。  (ことわり)を変える力など、自分にはないのだから。  彼らと紫雨は何を思うのか暫くの間、無言のまま視線を交わしていた。  やがてその視線は外され、雨神(あまがみ)雪神(ゆきがみ)は療の方を向き、一礼する。  そして用は済んだとばかりに、来た時と同様にその姿を唐突に掻き消したのだ。  奥座敷の房室に沈黙が降りた。  何を話せばいいのか分からないまま、療はただその無音に寄り添い、真竜達の掻き消えた跡を見つめていた。音を立ててはいけない気がした。衣擦れの音、息遣いの音すら立ててはいけない気がした。  そんな静寂は。  卓子(つくえ)に拳を打ち付ける音で、破られる。  驚いて療が紫雨の方を見た時だった。    不意に響く別の音に、息を呑む。  とつ、とつ、と。  とつ、とつ、と。    房室の屋根を叩くのは。  無情な雨の音だった……。

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