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第59話 休憩処にて 其の一

 香彩(かさい)を横抱きにして、休憩処の姿見に向かって竜紅人(りゅこうと)が歩く。先程まで湯に浸かっていたのだから、当然裸だ。香彩はそれがとても、恥ずかしくて堪らなかった。  もう竜紅人に見られてない場所など絶対にないと、言い切れる程に愛でられたのだから、そろそろ慣れてもいいじゃないかと自身でそう思う。  竜紅人にそんな感情はないのだろうか。  ふと彼を見上げれば、くすりと笑われて、香彩の顔に朱が走った。  思わず視線を逸らした香彩だが、竜紅人はお見通しだとばかりに、くつくつと笑い続ける。  もう何度同じことを繰り返しただろう。  慣れない自分がおかしいのだろうか。 (……竜紅人が羞恥心なさすぎなんだ、きっと)  だが恥ずかしがってる竜紅人というものを、どうしても想像できなくて、香彩は考えるのを止めることにした。  休憩処を目的に向かって歩いている内に、ふわりと森の木々の香りがした。それは香彩と竜紅人の身体を包み込んだと思いきや、まるで水滴を弾くように、濡れていた身体が乾く。  何が起きたんだろうと、香彩は逸らしていた視線を竜紅人へと戻した。 (……え?)  そこにはいつも着ている衣着(ころもぎ)を、きっちりと着込んだ竜紅人がいた。 (……ちょ……!)  一体何の拷問なんだと、香彩は顔を赤らめる。  先程まで裸だった竜紅人が、ほんの一瞬のうちにいつもの衣着(ころもぎ)を着ていた。対して香彩はまだ裸のままだ。  自分だけまだ裸で、しかもきっちりと衣着(ころもぎ)を着ている竜紅人に横抱きにされている光景ほど、恥ずかしいものはなかった。  再び視線を逸らして、香彩は赤らめた顔のまま、ぎゅっと目を瞑る。  何故香彩がそんな反応をするのか、きっと全てお見通しなのだろう。くつくつ、くつくつと喉の奥で笑うような、彼の笑い声が頭の上から降ってくる。 「ある意味、倒錯的でそそるよなぁ、こういうのも。……試してみるか?」 「……っ!」 「──冗談だ……って言いたいところだけど、またの機会にってやつだな香彩」 「りゅ……っ!」  またの機会に。  竜紅人がそんな言葉を使うということは、いずれは必ず実行する気があるのだと、宣言しているようなものだ。  一糸纏わぬ自分を、卑猥な言葉で責めながら荒々しく抱く、きっちりと衣着を着込んだ竜紅人を容易に想像してしまって、香彩はふるりと身を震わせた。 「……惜しいな」  竜紅人はそう言うと名残惜し気に、耳輪に接吻(くちづけ)を落としながら、少し待ってろと囁き、香彩を姿見前にある丸椅子に降ろした。  身の置きどころのない気分のまま、香彩は恥ずかしげに身体を小さく丸めて、ぎゅっと目を瞑る。 (……そういえば)    いつもの衣着を着ている竜紅人を見たからか、香彩は思い出す。  自分の着ていた衣着は、蒼竜に見るも無残な程に破られたのだ。 (袴って……どうなってたっけ?)  もしも袴が無事ならば、ここに常備してある湯浴衣(ゆあみい)と合わせれば何とか格好が付くだろうと思った。  そうして記憶を遡れば、蒼竜が袴を綺麗に脱がせられるわけがないのだと思い至る。徐々に裂かれていったことを思い出してしまって、香彩は小さく息をついた。  顔が、身体が熱い。  蒼竜屋敷(ここ)に連れて来られてすぐに、衣着を裂かれたというのに、それを思い返して身体が熱くなってしまうのは、相当の重症だ。香彩は熱を発散させるように、再び息をついた、その刹那。  ふわりと。  肩に、そしてやがて身体全体に、とても肌触りの良いものが掛けられて、香彩は驚いて目を開けた。  姿見に綺麗な薄紅の下衣(したごろも)を羽織った自分の姿が映っている。同時に白い肌に浮き上がる、紅に色付いた華をいくつも見つけてしまって、香彩は再び顔に朱を走らせた。  唇痕を付けられたことは覚えているが、まさかここまでとは、思いも寄らなかったのだ。きっとこの目に見える範囲だけではないのだろう。思い出せるだけでも、背中や肉付きの良い(いざらい)部分、内腿の柔い部分、そしてあらぬ所にまで、竜紅人の唇を感じていたのだから。  特に大きく色付きの良い唇痕は、さきほど香彩が強請(せが)んで付けて貰った、鎖骨の窪みの少し下辺りにあるものだ。  掛けられた薄紅の下衣(したごろも)を、慣れた手付きで着付けていくと、思った通り衣着の合わせの部分で丁度見えなくなった。  それを少し寂しく思いながらも、香彩は丸椅子から立ち上がる。  見計らったように竜紅人が、器用にも香彩を後ろから抱き締めるようにして、下帯を通して締める。  ふわりと香る森の木々の香りは、果たして彼から香るものだったのだろうか。    竜紅人が香彩から離れる。  きっと上衣(うわごろも)を取りに行ったのだろう。振り向くと竜紅人が、何やら袋の中に入っている衣着を漁っている姿が見えた。  途端に再び香る森の香り。  もしやと思い、香彩は袖口をそっと顔に近付けた。

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