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第91話 療 其の一
「そう……なんだ」
ごめん……と再び謝りながらしゅんとする療 に、香彩 はあたふたしながらも、多分駄目だろうなって、駄目で元々っていうつもりでしたことだからと、療 に説明する。
療 は真竜の中では上位の竜だ。皇族と呼ばれる真竜を統べる一族であり、その力は強大で生命と無を司る。竜体は他の真竜に比べると二回りほど大きく、その色は光り輝く黄金であるという。
基本は他の真竜とはあまり変わりがない。だが自己防御本能が高く、本能が敵と見なしたものを強大な力でなぎ払い、掻き消す。
療 にとってそれは自分の中の、ごくありふれたものだ。自己防御本能そのものに対し、療 は無意識であり、また攻撃を加えようとする人に対する自己防御本能の反撃もまた、無意識なのだ。
香彩 が療 の『中』を探ろうとした時、防御本能は香彩 を敵と見なした。軽症で済んだのは香彩 が療 の『力』を借りる者であり、療 の加護の対象だったからだ。
縛魔師の術の中には、国の祭祀に深く関係し、人々を守護している真竜の『力』を借りるものが多い。
彼らと古 の契約を交わし、加護を得られれば、格段に『力』が増すという。『場』さえ整えることが出来れば、契約を交わした真竜を『力』ある言葉だけで従わせることが出来ようになる。
但しその代償として、己の身が尽きる時に身体そのものを喰わせるのだ。
鬼は人を喰う。
竜は鬼を喰らい、人に加護を齎 す。
人は、彼らを使役する術を持ち。
使役を終えた鬼と竜は。
褒美に人を喰らう。
まさに古 より続く、人と竜と鬼の連鎖と盟約通りに。
「だから気にしなくていいよ」
香彩 はそう言うと、柔らかく微笑んだ。
「でも……」
療 が申し訳なさそうな表情を浮かべて、香彩 の手を見ている。
「大丈夫。ほとんど、確信犯みたいなものだったから」
いたずらがばれた子供のような物言いで、香彩 が笑った。
「けど、収穫はあったよ」
ふっ、と香彩 の表情から、笑みが消える。
しなる鞭のような衝撃を受けながら、ほんの僅かな療 の『中』の隙間から感じ取れた気配。
「収穫って?」
うん、と香彩 が頷く。
「花の香りと、土の香りがした」
「──花の香りと土の香り……それって……!」
「うん。真竜の……香り──気配がした」
息を呑む療 に、香彩 はこれまであったことを話した。
療 が桜香 に淹れて貰った香茶の花片が消えたように、蒼竜屋敷の神桜の花片が根こそぎ無くなり、枝が地面に散らばっていたこと。
夢床 で見た桜香 を支えていた少女と、それを見守っていた長身の男から、同じ香りがしたこと。
そして。
夢解 きで視 た少女と、夢床 で桜香 を支えていた少女が、同じ少女だったこと。
「──憶測の域を出ないけど、きっと療 の夢で断末魔を上げていたのは……」
香彩 の言葉に療 が、神妙に頷く。
あの少女は、きっと神桜 ……紅竜 だ。
香彩 は現在の己の身の上が、これほど悔しいと思ったことはなかった。
療 が『覗いた』あの断末魔は、これから起こりうる未来を予兆しているのかもしれない。もしくは紅竜が療 に助けを求める為に、自分の領域に引き摺り込んだかもしれないのだ。
南の国境の近くにある、神桜の本体に行きたかった。行って直接、紅竜の様子を確かめたいと思った。
だが南の国境行きは紫雨 に止められている。駄目で元々とばかりに話を振れば、他の縛魔師を派遣すると言い切られてしまった。
寧ろ神桜の調査よりも成人の儀の方が優先だと言われ、それでも香彩 の気持ちを汲んで、貰った猶予が二日だった。
「……療 、お願いがあるんだけど、神桜の本体、見に行ってくれないかな。僕は……行けないから」
「どういうこと?」
「紫雨 に……止められてる。今は神桜よりも、成人の儀の方が優先だから」
「……あ──……」
何か思い当たったような声を、療 が出す。
香彩 も療 は事情を知っているだろうと踏んで、何も言わず結論だけを話すような言い方をした。
紫雨 と桜香 を迎えに紅麗の奥座敷へ行き、紫雨 に香彩 の着替えを持たせた療 だ。何も知らないはずがないだろうと、香彩 は思っていた。
思わずふるりと震える手を、ぐっと握り締めて隠す。
「……一応二日間は神桜調査の為に猶予を貰ったけど、状況が変わり次第、この猶予も無くなるから……」
「──香彩 はそれでいいの?」
「……」
「オイラに頼むくらいだし。本当は神桜の本体、自分の目で視 たいんでしょ?」
療 の言葉に香彩 は息を詰めた後、無言のままこくりと頷いた。
自分の名前の由来になったものであり、竜紅人 や療 の同胞だ。気にならないはずがない。
「だったら夜中にでも、抜け出せばいいじゃない。さすがに白虎だったら速攻で紫雨 に分かっちゃうけど、オイラか竜ちゃんに乗って行けば、すぐには分かんないよ。真竜なら南の国境までだったら、行ってすぐに帰って来れるし」
療 の両手が香彩 の両手を手に取り、優しく勇気付けるように、そっと握り締める。
「確かに紫雨が急 く理由も分かるけど、二、三日中枢楼閣 から離れるわけでもないし、行っても数刻だ。少し様子を見て帰って来るくらいなら、状況は変わらないと思うよ」
香彩 を安心させるかのように、療 の紫闇の瞳が瞬きし、そして力強く首を縦に振った。
「だから気になるんだったら、行こうよ香彩 。後悔しないように。オイラ、香彩 を乗せて、なるべく早く翔ぶよ」
ね? と弧を描く唇から特有の牙を覗かせて、療 が笑う。
確かに行ってすぐに戻ってくる程度ならば、大丈夫かもしれないと香彩 は思った。もしも雨神 の儀に向けての天候の変化があった場合でも、真竜に乗れば確かに短時間で戻って来れるのは確かだ。
香彩 は療 に向かって、こくりと頷いた。
「……療 、お願い出来る?」
「勿論! 気合い入れて翔ぶよ」
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