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第97話 不穏 其の四
蒼竜の傲慢な物言いと、欲を伴った低く掠れた声色に、ぞくりとしたものが香彩 の背筋を駆け上がった。
勝手な考え方だと、心の中で苛立ちが募る。ふつふつと怒りが湧いてくるというのに、先程感じた『ぞくりとしたもの』が紫雨 に感じていたものと違っていて、どこか安心する自分がいた。
いま感じているのは、明らかな欲だ。
頭の中に響く低い声色ひとつで、 尾骶が鈍く、甘く痛む。
啼 かせてやる、と。
たったその一言で、力が抜けてしまいそうになる自分が、とても嫌だった。
何もなければ自分は、このまま蒼竜に流されてしまったかもしれない。だが心の中に感じた苛立ちと、蒼竜に対する不信の気持ちが相俟って、彼から与えられる快楽に酔うことを、心も身体も拒んでいた。
『……香彩 ……』
蒼竜が呼ぶ。
その声が。
どこまでも絡め取ろうとする声色が、今はとても嫌だった。決して『竜の聲』ではないというのに、名前を呼ばれるだけで、香彩 は全てを彼に縛り付けられるようだと思った。
『かさい……』
蒼竜の鋭い爪が香彩 の頬に触れる。そのまま滑るように爪が再び顎を捉えると、くいっと上を向けとばかりに動かした。
一瞬の隙もなく接吻 が降りてくる。
「……んっ」
咥内に入り込む舌に、香彩 は息を詰めた。
多分自分は随分と酷い顔をしているのだろう。
いつもなら恍惚として舌を受け入れ、絡め、甘い唾液を蒼竜自身に取り上げられるまで貪るというのに。
いまはその熱さが、その甘さが不快で堪らなかった。
こんな風に竜紅人 のことを思う日がくるなんて、思いもしなかった。想いが通じる前ですから、戸惑いの気持ちの方が大きかったものの、彼との接吻 を嫌だと不快だと、思ったこともなかったというのに。
香彩 はそんな自分の感情に戸惑いながらも、心のどこかでそれは当然の感情だと思い直す。
この怒りは自分で自分という存在を守る、人としての本能からくるものだ。
入ってはいけない場所にまで侵入された。
線引きされていたはずの向こう側で、使ってはいけないものを使われた。
そんな怒りだった。
「……ん、待っ……」
接吻 の隙間を縫って、香彩 が抗議の声を上げる。
逃げられないようにする為なのか、顎を捉えていた竜爪は、香彩 の後頭部を後ろから鷲掴みにした。
再び蒼竜の長い舌が香彩 の色付いた柔らかい舌を乱暴に吸い、容赦なく口腔内を蹂躙する。
解放された神気と、寧の前で使われた竜の聲。自分の副官を助けることも叶わず、強制的に連れて来られた自分の私室。
自分の所為だと言われ。
啼 けと言われた。
啼 いて、療:(りょう)と紫雨 の気配を消してみせろと。
それは香彩 の話を聞く前に、蒼竜に抱かれろと言ってるのも同意だった。ふたりの気配を消す為に『竜紅人 の御手付 き』の香りを纏うには、性的に絶頂を迎える方が何よりも手っ取り早い。
「……んんっ……」
それが酷く嫌だと思うのは、話をする前に自尊心を傷付けられたからだ。
嫉妬という心によって。
「んっ……」
息苦しさに香彩 が呻くが、蒼竜は荒々しい接吻 を止めようとはしなかった。
だが。
ぴたりと蒼竜が口腔の動きを止めた。
別の味がする、と。
頭の中でそう聞こえる蒼竜の声に、香彩 の背中を冷たいものが滑り落ちる。
『──へぇ? 接吻 を許したか……紫雨 に』
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