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第109話 花盗人 其の一
空を飛ぶという行為は、決して初めてではないのに慣れないものだと、香彩 は頭の片隅でそんなことを思った。
ましてや黄竜の背中の上だ。
竜の背に乗るなど、ほとんどと言ってもいいほど経験がない。
療 や竜紅人 と城外へ出掛ける際は、白虎を呼び出すことが多かった香彩 だ。だが刻を急いている場合などは、ふたりに飛んで貰うこともあった。その時ですら部分転変であり、人形 のまま背中から竜翼を出すような格好だったのだ。
今のように竜形で共に空を飛んだというのは、実に少ない。
記憶に新しいのはつい先日、蒼竜に浚われ、大きな竜の手で掴まれて、宵闇の迫る空を飛んだ時だろう。
(……りゅう……)
心内で香彩 は竜紅人 の名前を呼んだ。
結局、療 と共に今晩、中枢楼閣を出ることを伝えられなかったばかりか、何も話すことも伝えることもしないまま、壌竜 を追って城外へ出てしまった。
だが気配で気付いているはずだ。
あの腐臭を纏った馥郁たる土の香の持ち主が、中庭に現れたこと。
そして療 が黄竜としての形を執 ったこと。
これだけで何かあったのだと、気付いているはずだった。
『──ねぇ? 香彩 』
頭の中に直接響く療 の声に、香彩 の身体がぴくりと動く。
『もしかしなくてもさぁ……竜ちゃんとまた何かあったよね?』
また、を強調する言い方に、香彩 は苦い笑みを浮かべる。
「なんで……分かっちゃうのかなぁ」
ぽそりとそう言う香彩 の脳内に、それはそれは盛大な、まるで地の底から何かが這い上がって来そうな、深い深いため息が響いてくる。ため息をつく竜というのも珍しいと、香彩 は不謹慎ながらもそう思った。ましてや真竜の皇族という、黄竜のため息だ。
『だってあの土の香りを感じ取って香彩 、中庭にいたんでしょ? その時点で竜ちゃんが一緒にいないのって、あり得ないでしょ。だから実は結構前から、お互いに別の所にいたのかなって思って。それすら今の竜ちゃんにとってはあり得ないんだけど』
「……」
『それに……オイラが竜形を執 ってる。そして香彩 が竜形のオイラと一緒に城を出た。なのに何の反応も示さない。頑なに一点に留 まってる。絶対におかしいでしょ』
「……うん、そうだね」
それは先程、香彩 も思ったことだ。
しかも今の療 の言葉に、香彩 は心のどこかが、ちりっと痛む。
頑なに一点に留 まってる。
それは追い掛けようともしてくれない、ということだろうか。もしくは追い掛けないようにしている、ということだろうか。
『──もしかして寧 の……あれ?』
その言葉に軽く息を呑んだ時点で、肯定しているのも同然だった。
無言のまま、こくりと香彩 が頷く。
「……どうしてもあの時……竜紅人 を、許すことが出来なかった」
神気に病 られ、胸を押さえながら倒れ込む部下を前にして、竜の聲で縛り付けられて助けることも出来なかったこと。
そして話が出来ないまま、身体に纏わり付いた療 や紫雨 の気配を、啼 きながら消してみせろと言われたことも、許すことが出来なかった。
「……さっきも御手付 きの自覚がって言ってたでしょ? 真竜の療 から見れば、覚悟が足りなかったって思われても仕方ないと思う」
『いやいやいやいや、いやいやいやいや! そういう意味で言ったんじゃないし! あれは寧 ろ竜ちゃんが全面的に悪いから! 香彩 は怒っていいところだから! 寧 ろ今までよく竜ちゃんに怒んなかったよねって言いたいよオイラ!』
「でも……」
『でもじゃない! よく思い出してご覧よ。あの時オイラ、竜ちゃんの神気を縛ろうとしてたでしょ! 気配に敏感な人の大勢いるところで神気を全開に解放するって、絶対にやっちゃ駄目なことだもん。きっと竜ちゃんは、何もかも計算してたんだろうと思うよ。オイラが竜ちゃんを再び縛ろうとしていたことも。それを香彩 が止めることも。そしてオイラが寧 を介抱することも』
まさにその通りだと香彩 も思う。
竜紅人 も言っていたのだ。
──お前ならも止めてくれると思っていた。流石にあいつに出られると、俺も分が悪い。
『竜ちゃんは香彩 に甘えてるんだよ。それにいくら紫雨 に嫉妬してるにしても、分別をなくしちゃ駄目だよ』
「──分別……?」
『竜の聲のこと! 香彩 は竜の聲に縛られるの、当たり前だと思ってるでしょ。違うからね。本来の使い方は御手付 きが、竜の唾液によって我を忘れたり、心酔して危ないことをしそうになったりするのを、止めたりする時に使うものだからね』
「……え……そう、なんだ……」
『──……あぁ。今のでどんな使われ方してたのか、わかった気がする』
嫌だなぁ、あんまり友人達のそういうのって知りたくなかったなぁ、けど竜ちゃん普段喧 しいくせにそういう面ではむっつりだからなぁ。
そんな療 のあからさまで、あけらかんとした物言いに、香彩 は再び顔を赤らめる。
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