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第110話 花盗人 其の二
『今更恥ずかしがるかなって思うけど、きっとその擦れないところが、香彩 の良い所なんだろうし、竜ちゃんも堪らないんだろうねぇ。真竜の本能に訴え掛けてくるっていうやつ？ 嗜虐心を擽るんだよねぇ』
けらけらと療 の笑い声が、香彩 の脳内に響く。
だから閨では優しいが意地悪なのかと、ふとそんなことを思ってしまって、香彩 は朱を差した顔を更に赤らめた。
『──でも行き過ぎは駄目、だよね』
嫉妬で分別を失くすこと然り。
湧き上がる嗜虐心のままに、行動すること然り。
そう言い切った療 の言の端には、鋭利な刃を首筋に当てられたような、ひやりとした冷たさが宿る。
療 は時折、上位の真竜としての顔を覗かせることがある。人にとってそれは原始的な畏れを抱かせるものだ。
人にとって初めての焔であるかのような。
視界の効かない真の闇であるかのような。
そんな恐ろしさ、畏ろしさに、すっと顔の熱が冷め、香彩 の背筋をぞくりとしたものが駆け上がった。
嫉妬で分別を失くし、本能の一部でもある嗜虐心のままに行動する。療 は竜紅人 のことを話しているのだろうが、それはまさにいま追い掛けている真竜にも、充分当てはまっていた。
壌竜 が起こした行動を、香彩 は壌竜 が自分の身体を通り抜けた際に垣間見た。彼の心の中で湧き上がった感情は、嫉妬心そのものだ。想い人に自分を見て貰えない寂しさで、癇癪のようなものを起こしながら、切望し嫉妬する。覚えのある感情に、香彩 の心は痛む。
そして堕ちかけている壌竜 と相見 えた所為か、竜紅人 も何かのきっかけで堕ちてしまうのでないかと、そんな心に囚われる。
竜紅人 に限ってそんなはずはないと思っている。思っているというのに付き纏う不安。
『だけど香彩 。香彩 が竜ちゃんのこと、ちゃんと怒って拒絶したの、良かったんじゃないかってオイラ思うよ。竜ちゃんがしちゃいけないことしてるのに、香彩 が流されてちゃ、竜ちゃん、どんどん悪い方向に行き兼ねないもの。香彩 がちゃんと拒絶したことで、竜ちゃんもちょっとは冷静になれたんじゃないかな？ 拗らせた考え方してなければ！』
まぁ、オイラと香彩 が城を出たっていうのに、追い掛けて来ない時点で、ちょっと子供っぽいなぁとか、拗ねてるんだろうなぁとか思うけどね。
そんな風に話す療 は、竜形になってもその性質は相変わらずなのか、竜紅人 のこととなると更に饒舌になる。
『……まぁ……拗らせた嗜虐心の本能のままに行動するのは、壌竜 だけでもう充分だよ』
療 はそう言うと竜の声で唸り、高度を下げ始めた。
暗視の術が効いている為か、療 がどの辺りまで飛んで、降りようとしているのか、とてもよく見える。
それは南の国との国境に近い場所だった。
すぐ近くには神桜の本体である、火神 紅竜が祀られている社がある。
だが黄竜は、火神 の社から、少し離れた場所に降り立とうとしていた。
「社じゃないの？」
『……うん。消えかかってる魔妖 の気の側にいる』
「消え……かかって……？」
それが何を意味するのか、分からない:香彩(かさい#ではない。
香彩 は黄竜が地面に着地するな否や、黄竜の背から跳び降りて走り出した。
その様子を見た療 も、瞬きひとつで人形 へと身体を変化させ、香彩 の後を追う。
壌竜 が自分の身体を通り抜けた際、視 たものが確かならば、この消えかかってる魔妖 の気は銀狐 のものだ。
(──何故、気付かなかったんだろう)
夢床 で見た銀狐 と同じ気配だということに。
思考の深みという泥濘 に沈み行く自分を助け、『好き』という感情を捨てるなとばかりに、引き上げてくれた銀狐だ。
銀狐のおかげで成人の儀の真実を思い出したあとでも、心を乱さずに済んだ。『好き』を信じることが出来たのだ。
夢床は、意識の奥に存在する、潜在意識の眠る場所でもあり、過去や現在の心の傷はもちろん、未来の傷も眠る場所だ。
夢床での道先案内人でもあった銀狐。
自分の空間だというのに入ることが出来ない透明な壁の先で、泣いていた桜香 。
そんな桜香 に寄り添っていた紅竜と。
紅竜と桜香 を、見守るように立っていた壌竜 。
(……それの意味することが)
これから分かるのだ。
走っていた香彩 は、その光景を目にした時、近付くことも声を掛けることも出来なかった。後から香彩 に追い付いた療 もまた、その場に立ち止まり、息を呑む様子が伝わってくる。
療 と香彩 が、壌竜 の気配を追ってその場所に辿り着いた時、彼は奇妙に嗤いながら泣いていた。壌竜 のすぐ近くには、既に気配の消えてしまった銀狐の姿がある。
我を取り戻した香彩 は、ゆっくりと銀狐に近付き、その生死を確かめようとした。気配が感じられないということが、一体どういうことなのか分かっていたつもりだったが、確められずにはいられなかった。
だがその変わり果てた姿に、香彩 は思わず目を背けた。本来あるはずの場所にあるべきものが無く、その形貌 すらどこか歪なものと化していた。
これが嫉妬という名の成れの果て、なのだろうか。相手を排除して自分が取って代わりたいという、欲望の果てなのだろうか。
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