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第111話 花盗人 其の三

   だとしたら何ということなのだろう。  香彩(かさい)は足元から(くずお)れそうになるのを、何とか(こら)えた。だが嫉妬という業の深さに、銀狐(ぎんこ)壌竜(じょうりゅう)がすぐ目の前にいるというのに、香彩(かさい)はそれらを何処か遠い所から眺めているような気分になった。  銀狐は枯れ枝を握り締めていた。大事そうに握られたそれは、その辺りによく落ちている何でもない枝だった。食料を煮炊き、焼いて、今宵の暖を取る為のものだったのだろうか。  そして泣き嗤う壌竜(じょうりゅう)の手には、へし折られた立派な枝が一本握られていた。  まさにそれは神桜の一枝だ。  壌竜(じょうりゅう)が散々折った神桜の枝の、たった一本がこの場所にあることに、何か意味があるのだろうか。 (……紅竜が言ったんだ……!)  壌竜(じょうりゅう)から垣間見た記憶を思い出す。  確かに紅竜は言ったのだ。  銀狐に一枝をあげる、と。  貴方の側にいますという証でもある一枝を。  壌竜が神桜の枝にこだわった理由。  妬心に狂うというが、それは狂気だ。  香彩(かさい)もまた似た感情を確かに覚えたが、紅麗の遊姫を排除したいとまでは思わなかった。 (……違う……)  貴方の隣に立つのは、何故自分ではないのだろうと確かに思った。何故自分を見てくれないのだろうかと。  思い詰める心はやがて病み、食欲を奪い、眠りすら奪った。  妬心を確かに抱いていたが、それ以上に香彩(かさい)は無意識の内に、己自身そのものを排除するような行動を取っていたのだ。  どこにもぶつけられない気持ちを、己へとぶつけていたのだ。 (……一歩間違えれば、自分もこうしてたかもしれない)  その衝動がたまたま己に向いただけで、下手をすれば竜紅人(りゅこうと)に向かった可能性だってあるのだ。  そして竜紅人(りゅこうと)は。 (──……竜紅人(りゅこうと)はいま、その衝動の最中(さなか)にある)  香彩(かさい)は受け止めることを拒否した。  もし竜紅人(りゅこうと)自身が、その衝動を抑えることが出来なかったら、次は一体どこへ向かうのだろう。    壌竜(じょうりゅう)哀哭(なげき)が、深更(よふけ)の森の中に響く。  その途方もない声は、まるで地の底から這い上がってくる亡者を思わせた。時折、壌竜(じょうりゅう)は泣き嗤う。自身の手を見ては、そのべったりと付いた赤黒い血糊を見ては、泣き嗤う。 「壌竜(じょうりゅう)……いや、土神(つちかみ)!」  (りょう)壌竜(じょうりゅう)に呼び掛ける。  だが聞こえてくるのは慟哭と、時折混ざる嗤い声のみ。  そんな壌竜(じょうりゅう)の足元に、黒い煙のようなものを見つけて、香彩(かさい)は目を見張る。  地上に灼然たるとして存在する、邪念や執念といった、念の集合体のようなものが壌竜(じょうりゅう)を穢し、堕とそうと集まってきていた。  少しずつ、少しずつ。  まるで壌竜(じょうりゅう)自身がそれを受け入れているかのように、吸収していくのが見える。 「──土神(つちかみ)! オイラだ……(りょう)だ! 分かるか土神(つちかみ)!!」  (りょう)、という言葉に壌竜(じょうりゅう)が反応を示す。  さ迷うように頭を動かしていた壌竜(じょうりゅう)が、(りょう)と目が合うな否や、大きく(かぶり)を振った。 『オソレオオイ、オソレオオイ、ワタクシメノタメニ、オンミミズカラ、マイラレタノカ』 「助けられるのもなら、助けたい。そう思って来た。飲まれるな、土神(つちかみ)! 飲まれてはだめだ!」 「オロカナコトヲシタ。カレトワタクシハ、ドウルイデアッタノニ。トモニナリウル、ソンザイデアッタカモシレヌノニ」 「土神(つちかみ)!」 「イットキのカンジョウニテ、カレヲ……」 「あの銀狐(ぎんこ)のことを思うのならなおさらだ! 邪念に飲まれて全てを忘れて堕ちるなんて、オイラが赦さない。お前は真竜として……壌竜(じょうりゅう)として罰せられるべきだ。だから!」  飲まれるな、と。  (りょう)が叫ぶ。      だが、(りょう)の呼び掛けも虚しく、邪気を吸い込んだ壌竜(じょうりゅう)の身体は徐々に変化していった。   人形(ひとがた)だったそれは大きく姿を変え、始めは竜の形をしていたが、やがてどろりと形を崩して、無数の目と口を持つ、土気色の脈打つ肉の塊へと変貌した。  邪気を吸い込んだ真竜が堕ち、竜とも人形(ひとがた)とも言えない存在(もの)へと成り果てる。それは(りょう)から何度も聞いていたことだ。だが実際に()の当たりにして香彩(かさい)の心は、驚愕と戸惑い、そして何とも言えない悲しい気持ちに襲われた。  堕ちかけではあったが、人形(ひとがた)だった壌竜(じょうりゅう)の綺麗な苔色の長い髪を、鳶色の眼を、端正な容姿を覚えている。彼の自業自得なのだと言ってしまえば、それまでだ。嫉妬に身を灼かれながら、自分勝手な思いを抱えて()み、紅竜の分身(わけみ)も云える神桜の枝を数え切れないほど折った。そして銀狐を害したことに、香彩(かさい)壌竜(じょうりゅう)に憤りを感じていた。  赦せないと。  思うのと同時に、酷く悲しかった。  目の前の肉塊は、どろりとした無数の目を香彩(かさい)(りょう)に向けている。口は弧を描く様に、にぃと嗤う。その姿になってしまったのは、自身に向けられる目を気にし、自身に語り掛けられる言葉を気にした所為なのだろうか。 「土神(つちかみ)!!」  それでも(りょう)は叫ぶ。  ()()()()()()()に対して。    (りょう)の声に反応したのか、肉塊はその気味の悪い身体をぶるりと震わせる。生えてきたのは滑り気のある、数え切れないほどの触手のようなものだった。  肉塊の触手は先端を尖らせて、刺し貫かんとばかりに、凄まじい早さで(りょう)に向かう。  避けることが不可能だと思ったのか、(りょう)はその雄大な黄金の神気を、惜しみ無く身体の周りに展開させた。  触手と(りょう)の神気がぶつかり合う。ばちりと音を立てて、触手が(りょう)から跳ね返される。  肉塊が僅かに怯んだ隙を、香彩(かさい)は見逃さなかった。

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