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第114話 花盗人 其の六
『力ある言葉』が言い放たれると同時に、香彩 は札を地面に置き、軽く指を突き立てる。
水面の波紋の様に広がった術力は、強靭な鎖のように絡まり合い、地中を進んで肉塊を中心に陣を描いた。
やがて地から這い出た術力の鎖が、肉塊を縛り付ける。
幾重にも重なる鎖は、二体の真竜の『力』を借りたからなのだろうか。
術の形成が終わる頃には、肉塊の部分が見えなくなるほど、鎖に覆われていた。
明らかな『術力』の『性能』の違いに、香彩 は半ば茫然とそれを見ていた。二体の真竜の『力』なのか、それとも自分が『竜紅人 の御手付 き』となったからなのか。そういえば『御手付《みてつ》き』となってから、蒼竜の『力』を借りて術を形成していないことを思い出す。
(……竜紅人 のものになったから……?)
借りる『力』が強くなった?
そんなことを考えながらも、無意識に動かした腕に痛みが走った。
茫然としていた意識が、現実 に戻ってくる。すると今まで意識していなかった腕と太腿の傷が、じくじくと痛んだ。
香彩 は胸元から止血の札を取り出した。この札は傷口に貼り付いて、止血する作用のある札だ。同時に血の穢れを封じ込める力もある。
太腿に手際良く札を貼り付ける。そして特に傷の酷かった腕。札を貼り付けてその上から香彩 は、手首にあった綾紐を括り付けた。
桜香 のくれたあの綾紐だった。
身に付けていたことによって香彩 の、身体を巡る術力に馴染み始めたそれは、とても効率良く血の穢れを封じる手伝いをしてくれるだろう。
香彩 は肩に乗っている蒼竜を、盗み見るようにして見つめる。血に酔うのは療 だけではない。何度か香彩 の怪我を舐めて治した蒼竜だったが、療 のように多少ならば大丈夫なのだろう。
だが一定の量を超えてしまったら。
香彩 の視線の意味を正しく理解した蒼竜が、荒く息をつきながら、ぽそりと問題ないと呟いた。
「……でも……」
ではどうしてそんなに息を乱しているのか。血の穢れの所為ではないのか。
香彩 がそう聞こうとした時だ。
血の穢れが原因ではない、と頭の中に声が響いた。
『……敢えて言うのなら、お前の血の香りだ』
「血の、香り……?」
『御手付 きの香りと一緒……いや、それよりも濃厚だと言えば分かるか?』
あ……、と香彩 は口の中でそう呟いた。
御手付 きの香りは、主が己の所有物だと本能的に理解し確認する為のものであり、主が吸い込めばそれは見事な興奮剤となる。
血の香りもまた蒼竜にとって興奮剤となるのであれば、彼が息を乱している理由も理解出来た。
蒼竜は、はっ……と自虐的な悪態をつくように、短く息を吐く。
『壌竜 の感情に煽られた挙げ句、拒否されたお前に止 めを刺されるとは……思いも寄らなかった』
「止 めって……」
それは一体どういうこと。
問おうとすれば香彩 の肩から弾みを付けて、蒼竜が飛び立った。香彩 は慌てて蒼竜を目で追う。少し離れた場所で降り立つ蒼竜を見つけると、無意識に安堵の息をついた。だが蒼竜の重みを失った肩が、寂しさを訴える。
離れないでほしい。
肩 にいてほしい。
あの重みが、どれだけ心強かったことか。
ふと心にそう思って、香彩 は自身を嗤いながら頭 を振った。
(……自分から拒否しておいて、何て勝手なんだろう)
香彩 は蒼竜を見る。
蒼竜は決して香彩 を見遣ることなく、その視線は動きを封じられた肉塊に向けられていた。
一層のこと真摯に感じられる竜のその眼差しは、心内に何を思うのだろう。
(……りゅう……僕は……)
「──香彩 っ! 大丈夫!?」
療 の声がする。
心内に思った仄暗いものに、まるで一筋の光が射すようだと香彩 は思った。
ようやく香彩 に近寄ることが出来るようになった療 が、香彩 の側に駆け寄ってくる姿が見える。
「……療 。療 こそ大丈夫?」
止血の札で血の穢れは封じ込めはしたが、果たして療 に影響はなかっただろうか。
「そんなことよりも!」
息も乱さず駆けてきた療 は、香彩 の手を無手 と掴むと、畏れを感じるほどの雄大な黄金の神気で香彩 の身体を包み込んだ。
手を掴まれたことで傷口が痛み、少し顔を歪めていた香彩 だったが、やがてその痛みは引いて感じなくなった。
「ありがとう、療 」
「……さすがに今は、色んな意味で竜ちゃんに治されたくないでしょ? 竜形だと舐めないと治せないし。オイラ流石にちょっと、目の前で睦み合われるの、嫌だな」
「──療 っ!」
あからかんとそんなことを言う療 に、香彩 は顔を赤らめながら、療 の名前を叫んだ。確かに療 の前で、蒼竜に傷を治されるのは抵抗がある。腕をそして太腿を、竜の舌で舐められているところを友人に見られてしまうのは、どこか居た堪れない気分だ。
(……それに……)
香彩 の血の臭いで呼吸を乱し、離れた蒼竜だ。初めから香彩 の傷を、治すつもりがなかったのだということが分かる。
臭いだけで荒々しい呼吸をしていた。
ではその多く流れた血を舐めたらどうなるのか、想像に難くない。
香彩 の物言いに、けらけらと笑った療 は、その視線を肉塊へと向けた。
その粛然とした空気に、香彩 もまた肉塊を見遣る。
術力の拘束の鎖に幾重にも巻かれ、地に縫い付けられたその姿。
療 の紫闇の目は。
そして蒼竜の深翠の目は。
ただ静かにそれを見つめていた。
同胞の変わり果てた姿に、真竜達が何を思うのか香彩 には分からない。
(──今は、自分にしか出来ないことを)
するしかないのだ。
それがせめてもの救いになるのだと信じて。
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