131 / 409

第131話 幽閉 其の二

 紫雨(むらさめ)柏手(かしわで)を、打つ。  水面に落ちる水滴が齎す波紋のように、柏手から発する術力の波動が空間に広がる。 (──……っ! 紫雨(むらさめ)……っ)   それを肌で感じて香彩(かさい)は、心の底無し沼に陥ってしまったような、どこからか身体がすっと落ちて行くような、そんな寂寥を感じていた。  術力の波動が、以前よりも明らかに弱くなっている。普段の生活を送る際の、些細な『力』の使い方であれば問題ないだろう。だが四神を従わせ、この国の護守を維持するほどの『力』が、彼にはもう残されていなかった。 (……蒼竜屋敷(ここ)の書き変えだって、出来るかどうか……)  ただ単に書き変えだけなら、可能なのかもしれない。だがそれによって蒼竜を抑え込み幽閉するものとなると、話が変わってくる。  紫雨(むらさめ)が二度目の柏手(かしわで)を打った。  黄竜が僅かな反応を見せる。  柏手(かしわで)は力を借りる者への挨拶だ。  一度は地に住まう地霊や精霊。  そして二度目は、真竜に加護を願う時に打たれるもの。  蒼竜を封じる為には、蒼竜以上の神気の持ち主でなければ駄目だ。幸いにもそれは目の前にいる。 (……あとは……)  足りるかどうかだ。  術力(えさ)が。 「伏して願い(たてまつ)る。真竜御名(しんりゅうごめい)黄竜(こうりゅう)、その御名(みな)において、我の呼応に力を貸したまえ」  術力を伴った耳心地の良い艶やかな低い声が、高らかに深更の空間に響き渡る。  合わせた手の内に集まるのは、真竜の神気を誓願して術力と織り成した光の玉だ。  それを空高くへと放り投げ、 「──陣!」  紫雨(むらさめ)の『力ある言葉』に応じて弾け飛ぶ。   光の玉のあった場所を中心に、半円を描いた結界が蒼竜屋敷を包み込むようにして、広い範囲で展開する。  結界は無事、成されたように思われた。  術力の余韻の残る空気の中、紫雨(むらさめ)の乱した息遣いと、紫雨(むらさめ)を気遣うような黄竜の、喉を鳴らす音が聞こえてくる。  だがそんな空気を切り裂くかのように、響くのは蒼竜の、突然の咆哮だった。  それは耳を貫かんばかりに鋭く、遠く天にまで届きそうな程、大きく響き渡る。  香彩(かさい)は思わず耳を塞いだ。真竜の咆哮から身を守る為に張っていた結界が、破られたわけではない。だが咆哮の中に込められた、本能のままの悲痛な感情は、結界を素通りし、直接香彩(かさい)に語りかけてくる様だった。  行くな、と。  側にいろ、と。   (……りゅこう……と……っ!)  呼んではいけない。  自分の御手付(みてつ)きが、自分を呼んでいると分かれば、活気付いてしまうかもしれない。  そう思いながらも香彩(かさい)は、この蒼竜屋敷に封じられる想い人の名前を、心の中で呼ばずにはいられなかった。  駄目なんだ、今は。  今は蒼竜(あなた)の側には行けないのだと思っていても、分かっていても、心の中で何度も、その名前を呼んでしまう。 (──駄目だ! だめ……だ。りゅこうと……!)  呼んでしまう。  求めてしまう。    蒼竜(あなた)の側に行きたいのだと。  今すぐその結界を破って、浚いに来て欲しいのだと、心の一番奥が叫び出す。

ともだちにシェアしよう!