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第134話 幽閉 其の五

「えっ……?」 『……幸いにもオイラの体内には、少し前に取り込んだ、香彩の血液があるから』  黄竜の言葉に、香彩(かさい)が息を呑む。  (りょう)の中に香彩(かさい)の血液があるのは、恐慌状態に陥った香彩(かさい)現実(ここ)へ戻す為に、香彩(かさい)の首筋を噛んだからだ。  まだ桜香(おうか)竜紅人(りゅこうと)の想い人だと思い込んでいた頃。(りょう)宛に差し出された玉梓(たまずさ)の使いを見て、香彩(かさい)は狼狽し、錯乱状態になった。(りょう)香彩(かさい)の生存本能に訴えかける為に、敢えてその身に宿るもうひとつの気、人にとって危険な妖気を出して、首筋に食らい付いたのだ。  出来れば紫雨(むらさめ)には、聞かせたくない言葉だったが、もう遅い。  (りょう)の言葉を聞いた紫雨(むらさめ)は無言だった。  だが香彩(かさい)を抱き上げるその手に、ほんの一瞬ではあったが、力が籠ったことに気付かない香彩(かさい)ではなかった。  紫雨(むらさめ)は元々、(りょう)を警戒している。  (りょう)が縛魔師にとって、天敵でもある鬼族(きぞく)だったからだ。それは覚醒を成し、真竜皇族となった今でも変わりない。  (りょう)紫雨(むらさめ)の警戒には気付いているはずだった。 (……それでも話をしたのは)  一番有効な手であり、何よりいらぬ誤解を招かない為だろう。 『これを媒体にして術力を発生させ、神気と混ぜて、オイラが香彩(かさい)の代わりに紫雨(むらさめ)の結界を強化できる。ただ……』   辺りの気配が変わった。  蒼竜屋敷を包み込んでいた薄金の霧の中に、蒼白いものが混ざり始める。  術力だ。  香彩(かさい)の血液を媒体にした術力が、神気の霧と同じように屋敷全体に広がる。  するとどうだろう。  結界に入っていた(ひび)が、見る見る内に修復されていくではないか。  流石は香彩(かさい)の血液だよね、と脳内に聞こえてくるのは、(いら)えを求めない(りょう)の独言だった。  黄竜が小さく唸る。  それが何かの前準備のように思えて、香彩(かさい)は固唾を飲んだ。 『ある程度、この神気と混ざった術力が定着するまで、オイラはここを動けない。それにどんなに結界を強化して定着しても、嫉妬で分別を失くした真竜が、何を仕出かすか分からないから……』  オイラ、ここに残るよ。 「──りょ……」 『残って竜ちゃんを見張る。もしも竜ちゃんが動き出してしまっても、ここにいたらすぐに止められるしね』  だから……。 『──行って。香彩(かさい)紫雨(むらさめ)』  (りょう)、と呼びたかった香彩(かさい)の言葉は、何も言うなと言わんばかりの、紫雨(むらさめ)の込められた腕の力によって遮られる。 「ここはお前に任せる、(りょう)。何としても竜紅人(りゅこうと)蒼竜屋敷(ここ)(とど)めろ」 『──……銀葉茶店の甘味、一年分ね』 「そんなものでいいのか。相変わらず安上がりな奴だ」      くつくつと紫雨(むらさめ)が笑いながら、(りょう)に背を向けた。心得ているとばかりに、紫雨(むらさめ)の側に擦り寄る白虎を労い、その背に跨がる。  白虎は大きく咆哮すると、強靭な四肢をたった一駆けさせただけで、空高く舞い上がったのだ。  黄竜はずっと見つめていた。  白虎に跨がる紫雨(むらさめ)が見えなくなるまで、ずっとずっとその背中を見つめていた。  やがてその姿が見えなくなると、黄竜は眼下を見遣る。  回の字によく似た蒼竜屋敷の中庭に、蒼竜が竜体を丸めて、ぐったりとしていた。黄竜の神気が余程効いたのだろう。  黄竜の視線を感じたのか、蒼竜は気怠そうに首を上げた。  御手付(みてつ)きがこの場所から離れたことにより、蒼竜の目は少しずつだが正気を取り戻しつつあった。  出来ればあともう少しだけ、自我が戻らなければ良かったのにと思う。  今の状況で自身を取り戻せば、辛いのは蒼竜だ。  黄竜は小さく唸り声を上げた。  それに対する(いら)えが、ほんの少しだけ返ってくる。  あまりにも弱々しいそれを聞いて、黄竜の胸に痛みが走る。  分かっていたことじゃないか、お互いに。  想い人が他の人に抱かれるのだと。  ()()()()、と。  蒼竜のことを言えた義理ではない。  嫉妬で分別を失くすのは、失くしそうになるのは、何も蒼竜だけではないのだ。  心から湧き出る感情に蓋をして、黄竜は前肢を枕にでもするように頭を置いて丸くなった。  眠ってしまおう。  全てが終わるまで。  蒼竜の気配を警戒しながらも、黄竜は獣の眠りについたのだ。      

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