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第138話 成人の儀 其の四        ──白虎の声──

   紫雨(むらさめ)の指示通り、白虎が皇宮母屋(こうきゅうぼや)の裏手に回り、その強靭な四肢が地を捉えると、何の衝撃もなく優雅に降り立った。 「……ご苦労だった白虎」  そう言いながら紫雨(むらさめ)は、香彩(かさい)を横抱きにしながら白虎から降りる。 「香彩(かさい)といい俺といい、この短期間でお前を()き使ってしまって悪かったな。俺はまぁ言えばこれで最後だ。許せ」  紫雨(むらさめ)の物言いに何かを思ったのだろうか。白虎は低く唸ると、身体を(なす)り付けながら、紫雨(むらさめ)香彩(かさい)の回りをしばらく回り続ける。そして横抱きにされている香彩(かさい)の足に、大きな頭をぐっと押し付けると顔面を上げた。  淀みのない白虎の、真っ直ぐな視線がそこにあった。逸らすことの赦されないような毅い目を、香彩(かさい)はしっかりと受け止める。 『どうか我々を拒絶為さるな』 「──え」  香彩(かさい)の頭の中で、そんな声が聞こえたと思いきや、白虎は現れた時と同じように、春風に紛れその姿を消したのだ。 「いま、の……白虎……?」  あの時と同じ声だと思った。  蒼竜屋敷で壊れそうな紫雨(むらさめ)の結界を補おうとした時に、止めたあの声と。 「ほぉう? もう白虎の声が聞こえるのか。余程気に入られ、認められたと見える」 「認められ……た……?」 「四神の声が聞こえるのは、彼らを下した者と同胞……真竜だけだと云われているが……」  香彩(かさい)の中で、小さな戸惑いが生まれる。  どうして白虎の声が聞こえるのか分からないが、認められたというのなら白虎は、何故あんなことを言ったのだろうか。 「どうやら例外もあるらしい」  紫雨(むらさめ)はそう言いながら裏門を(くぐ)り、皇宮母屋(こうきゅうぼや)の中へと入る。   見覚えのある渡床(わたりどの)に、香彩(かさい)は無意識の内に唾を呑んだ。 (……この渡床(わたりどの)を真っ直ぐに行って、突き当たりを右に少し行けば……)  潔斎の場だ。  だが紫雨(むらさめ)香彩(かさい)を横抱きにしながら、すぐ右手に見える引き戸を器用に開ける。  独特の暖かく湿った空気が流れ込んでくる のを感じて、自然と香彩(かさい)の身体の強張りが解けていく。  そこは祀りの時によく使う禊場の、休憩処と脱衣の出来る場所がひとつになった部屋だった。ただひとつ、いつもと違うのはそれが『裏門側』だということだ。  紫雨(むらさめ)(くつ)を脱ぎ、厚手の敷物の上へと上がると、香彩(かさい)をゆっくり降ろし、座らせる。  そして恭しい手付きで、沓を脱がせようとする紫雨(むらさめ)に、香彩(かさい)はどこかぼぉうとしていた頭が、一気に目覚めたような気分になった。 「──っ……! 自分でするから……っ!」  慌てて香彩(かさい)が言う。  だが香彩(かさい)の足首を軽く掴んだまま、紫雨(むらさめ)は面白そうに、くつくつと笑うのだ。 「今は沓だけで済ませてやるから、大人しく世話をさせろ。香彩(かさい)」 「……っ」 「それとも沓以外の着替えの世話を、俺にさせてくれるのか?」  

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