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第139話 成人の儀 其の五       ──裸体──

 紫雨(むらさめ)のそんな言葉に、一瞬きょとんとした表情を浮かべた香彩(かさい)だったが、言葉の意味を理解すると、勢い良く頭を横に振った。  禊場に入る為には、いま着ている衣着を全て脱ぎ、白装束の湯浴衣に着替える必要がある。  それを紫雨(むらさめ)に世話をして貰うというのは、一体どういうことなのか。考えただけで香彩(かさい)の顔は熱くなった。   「(くつ)だけで……」 「そうか、それは残念だな」   香彩(かさい)の答えなどお見通しだと言わんばかりに、再び面白そうに喉奥で笑う紫雨(むらさめ)は、慣れた手付きで香彩(かさい)の沓を脱がす。  そして名残惜しそうに再び軽く触れられる足首に、香彩(かさい)の身体がぴくりと動く。  冷えた足に、紫雨(むらさめ)の手は熱すぎる。  決して不快ではないそれが、心内で嫌だと思った。  信頼に親愛が混じり、慈しみに愛しさが混じって、効き目の遅い毒のようにこの身に蔓延していったのだろうか。  この感情に名前を付けてはならない。名前を付けてしまえばそれは形になる。形になってしまえば、見なかった振りも知らなかった振りも、もう出来ないだろう。  違うのだとどんなに心が叫んでも、その心の何処かで求められることに、昏い悦びを感じていたのも事実なのだ。 「……立てるか?」   紫雨(むらさめ)の言葉に香彩(かさい)は無言で頷くと、ゆっくりとだが立って見せる。  蒼竜の発情の名残は、未だ身体の奥に燻ってはいるが、刺激さえなければ目覚めることはないだろう。その証拠に先程まで力の入らなかった足に力が入り、立てるようになっていた。  紫雨(むらさめ)がそんな香彩(かさい)の様子を見て、軽く頭を撫で、やがて通り過ぎる。  そして格子棚の前に立つと、(おもむろに)に衣着を脱ぎ始めた。  禊場の湯に入る為に、湯浴衣に着替えるのだと分かっていた。  分かっていたというのに。  上衣を脱ぎ、現れた紫雨(むらさめ)の上半身に、知らず知らずの内に胸が脈打つ。身長が高く、体格も良い紫雨(むらさめ)の、鍛え上げられた見事な肉体を目の当たりにして、思わず息を呑んだ。  香彩(かさい)をそれこそ、軽々と持ち上げ、すっぽりと包んでしまうその身体。今からこの身体に抱かれるのだと思うと、色んなぞくりとしたものが、香彩(かさい)の背中を駆け上がる。  それは劣情なのか、それとも何処か嫌厭している何かなのか、分からない。だが明らかに竜紅人(りゅこうと)には感じていなかった何かが、香彩(かさい)の心の中に生まれつつあった。  そんな香彩(かさい)の心情など知る由もない紫雨(むらさめ)は、堂々たる態度で衣着を全て脱ぎ、惜しげもなく、その全裸を晒している。そして颯爽と湯浴衣を纏うと、長い金糸の髪を高い位置で束ね、まとめていた。  湯浴衣に着替えなければいけないのだと、分かっている。だが香彩(かさい)はどこかぼぉうとした心地で、紫雨(むらさめ)を見ていた。  先程見てしまった彼の裸体が、どうしても脳裏から離れてくれない。  自分とは全く違うそれ。そして竜紅人(りゅこうと)ともちがうそれに、何故か自然と身体が熱くなる。  奥に燻る熱を、揺り動かされた気がした。  再び立てなくなりそうな気配に、香彩(かさい)は奥歯を噛み締めて耐える。 (……いま立てなくなってしまったら)  元々着替えの世話をさせろと言っていた紫雨(むらさめ)のことだ。喜んでこの衣着を脱がせるだろう。  それだけは嫌だった。  なるべくなら儀式以外で、彼の前にあまり肌を晒したくないと思う自分がいる。  そんな香彩(かさい)の心情など、すでに見透かされているのだろう。紫雨(むらさめ)がくつくつと笑いながら、禊場の湯殿へ続く引き戸に手を掛ける。 「……先に行く。お前も早く着替えて湯に入れ。風邪でも引かれたら、後で何を言われるか分かり兼ねん」   この儀式で風邪を引いてしまうほど裸体で目合っていたのか、などと言われたくないだろう?  紫雨(むらさめ)のあからさまな物言いに、朱が走るのは香彩(かさい)の顔色だ。何とまあ初なことだと、面白そうに言いながら、紫雨(むらさめ)の姿が引き戸の向こうへと消えていく。  香彩(かさい)はただそれを、茫然と見つめていた。  

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