140 / 409
第140話 成人の儀 其の六 ──唇痕の情華──
顔が。
身体が、やけに熱い。
雨で身体は冷え切っているというのに、身体の一番奥が、熱くて仕方ない。
紫雨 が湯殿へ続く引き戸の向こうへ消えてから暫くして、香彩 は意を決したかのように衣着を脱ぎ始めた。
いつも着ている白地に紅の縫い取りが施された、仕事用の縛魔服だ。仕事の間はずっとこの衣着を着ているということもあって、着慣れているし脱ぎ慣れているはずだった。
それに雨に濡れてはいたが、仕事上でも雨に降られることだってある。
だがどうだろう。
慣れていたはずの着脱は、酷く頼りないものだった。
なんとか上衣 と袴を脱ぎ、紅の下衣 一枚になる。下衣の帯止を外せばそれは、はらりと衣着の合わせ目から開 けるのだ。
ふと何となく香彩 は視線を上げた。
こういった禊場や湯殿の脱衣の出来る場所には大概、衣着を整える為の姿見が置いてある。それはこの祀りや儀式を行う潔斎の場の禊場でも、例外ではなかった。
そんな姿見に映る自分の姿の気配のようなものを、無意識の内に感じ取ったのだろうか。
見上げた先には、精度の良い姿見があった。
「──あ……」
一番初めに視界に飛び込んできたのは、胸元に咲いた濃華だ。白い肌の上に鮮やかに浮かぶ大輪を中心に、いくつもの華が散らばっている。
(……あの時の……)
あの時の唇痕だ。
蒼竜屋敷で、人形 の竜紅人 に会えなくなるのはやっぱり寂しいからと、強請 って付けて貰った物だ。
強く、強く吸ってと言った覚えがある。
すぐに消えないように。
そのおかげか、他の唇痕が薄く色付いているだけなのに対して、一番の大輪は鮮やかだが、どこか毒々しい色だ。
そんな唇痕にそっと触れたのと同時に、すとんと、紅の下衣が香彩 の身体から滑り落ちる。
「……っ!」
香彩 は思わず息を詰めた。
姿見に映し出されるのは胸から腰、そして臀 への曲線だ。
それは丁度、腰の括れにあった。
後ろから掴む形で、くっきりと残されているそれは、まさに蒼竜の前肢の痕だ。
もう昨日になってしまったが、黎明の刻から出仕の仕度の刻まで、繋がっていた時のものだろう。
まさに愛でられ、嫉妬された証が刻まれている。
(それを……今から)
全て晒すのだ。
紫雨 の目の前に。
ふるりと身体を震わせながら、香彩 は用意されていた湯浴衣に袖を通す。
そして長い髪を高い位置でひとつに纏めると、湯殿へ続く引き戸の前に立った。
こくり、と。
緊張で渇いた咽喉 に、唾液を押しやる。深い息をついて香彩 はようやく、湯殿の引き戸を引いて、中に入ったのだ。
ともだちにシェアしよう!