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第140話 成人の儀 其の六       ──唇痕の情華──

 顔が。  身体が、やけに熱い。  雨で身体は冷え切っているというのに、身体の一番奥が、熱くて仕方ない。  紫雨(むらさめ)が湯殿へ続く引き戸の向こうへ消えてから暫くして、香彩(かさい)は意を決したかのように衣着を脱ぎ始めた。  いつも着ている白地に紅の縫い取りが施された、仕事用の縛魔服だ。仕事の間はずっとこの衣着を着ているということもあって、着慣れているし脱ぎ慣れているはずだった。  それに雨に濡れてはいたが、仕事上でも雨に降られることだってある。  だがどうだろう。  慣れていたはずの着脱は、酷く頼りないものだった。  なんとか上衣(うわごろも)と袴を脱ぎ、紅の下衣(したごろも)一枚になる。下衣の帯止を外せばそれは、はらりと衣着の合わせ目から(はだ)けるのだ。  ふと何となく香彩(かさい)は視線を上げた。  こういった禊場や湯殿の脱衣の出来る場所には大概、衣着を整える為の姿見が置いてある。それはこの祀りや儀式を行う潔斎の場の禊場でも、例外ではなかった。  そんな姿見に映る自分の姿の気配のようなものを、無意識の内に感じ取ったのだろうか。  見上げた先には、精度の良い姿見があった。 「──あ……」   一番初めに視界に飛び込んできたのは、胸元に咲いた濃華だ。白い肌の上に鮮やかに浮かぶ大輪を中心に、いくつもの華が散らばっている。 (……あの時の……)  あの時の唇痕だ。  蒼竜屋敷で、人形(ひとがた)竜紅人(りゅこうと)に会えなくなるのはやっぱり寂しいからと、強請(ねだ)って付けて貰った物だ。  強く、強く吸ってと言った覚えがある。  すぐに消えないように。  そのおかげか、他の唇痕が薄く色付いているだけなのに対して、一番の大輪は鮮やかだが、どこか毒々しい色だ。  そんな唇痕にそっと触れたのと同時に、すとんと、紅の下衣が香彩(かさい)の身体から滑り落ちる。 「……っ!」  香彩(かさい)は思わず息を詰めた。  姿見に映し出されるのは胸から腰、そして(いざらい)への曲線だ。  それは丁度、腰の括れにあった。  後ろから掴む形で、くっきりと残されているそれは、まさに蒼竜の前肢の痕だ。  もう昨日になってしまったが、黎明の刻から出仕の仕度の刻まで、繋がっていた時のものだろう。  まさに愛でられ、嫉妬された証が刻まれている。 (それを……今から)  全て晒すのだ。  紫雨(むらさめ)の目の前に。  ふるりと身体を震わせながら、香彩(かさい)は用意されていた湯浴衣に袖を通す。  そして長い髪を高い位置でひとつに纏めると、湯殿へ続く引き戸の前に立った。  こくり、と。  緊張で渇いた咽喉(のど)に、唾液を押しやる。深い息をついて香彩(かさい)はようやく、湯殿の引き戸を引いて、中に入ったのだ。  

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