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第145話 成人の儀 其の十一 ──潔斎の場──
まるで冬の早朝のような、澄み切った空気が部屋全体に漂っていた。
神木 という、清水の気を浴びせ閉じこめた木材から成るこの部屋は、全体が『場』の役目を果たしている。
洗練された澱みのない空気は、まるで背筋を叩かれたかのような、緊張感と圧迫感を与えた。
潔斎の場と、呼ばれている。
国を司り護る者を、敬い、使役し、または祀る、その儀式が行われる場所だ。
今から執り行われる儀式は、密儀なのだという。数年から長ければ数十年単位で行われるというそれは、謂わば大司徒 になる為の継承の儀式だ。
香彩 にとってそれはまさに、本来であれば長い心の拵えを経ての、通過儀礼だったのだろう。
様々な感情が心の中に芽生えは消える。
嵐にも似たそれを抱えながら香彩 は、一歩また一歩と、潔斎の場の真中へと歩みを進めた。
『場』の中央の木床には、紅筆で描かれた四つの模様が見える。
四神の陣だ。
朱雀、青龍、白虎、玄武を顕したその紋様は、彼らの『力』を借りる時に描かれることが多い。
そしてその陣の真中、以前は敷包布のあった場所が、今は大きめな寝台が置かれていた。四柱に通された綺麗な天蓋が下ろされていて、中を隠すようだ。
あからさまなものを目の当たりにして、表情には出さないものの、香彩 の心は酷く狼狽していた。
覚悟をしろと、紫雨 は言った。
それがどういう意味なのか、分からない香彩 ではない。
一夜の夢物語だと言った彼は、その激しさの片鱗をこれでもかというほど、香彩 に見せ付けていた。だがすぐにそれは隠れて見えなくなる。だから息がつけた。ほっとした。
覚悟をしろということは、もう隠すようなことはしないと、宣言されたようなものだ。
ぞくり、と。
尾骶が鈍く痛む。
これから行われる手練手管を思って、甘く、甘く痛む。
紫雨 は寝台の横に置かれた丸椅子に座り、杯を呷っていた。丸卓子 に置かれた、爵酒器 と呼ばれる足の付いた酒器から酒杯 へ、なみなみ注いでから視線を香彩 へ移す。
深翠の奥に見える、ぎらついた熱をもう何度見ただろう。
背筋を駆け上がる粟立つものに、身動きが取れないでいると、紫雨 が無言のまま、そこへ座れとばかりに、彼の隣にある丸椅子を顎でしゃくる。
まるであの熱を孕んだ視線に、身体の動きを絡め取られているかのようだと思った。自分の思い通りに、歩を進めることが出来ない。
不自然な動作のまま、何とか丸椅子に座れば、目の前に酒器が置かれ酒が注がれた。
ふわりと香るこの酒は、この国で一番値の張る高級酒、神澪酒 だ。香彩 には間違えようのない酒だった。何故なら紫雨 が一番好む酒であり、毎晩のように飲んでいたからだ。
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