172 / 409

第172話 成人の儀 其の三十八★        ──昏く熱い欲──

   まさにそれは狂宴だろう。  心の片隅でそんなことを思いながら、香彩(かさい)は弱々しくも首を横に振った。心の中に嫌悪とまではいかないが、嫌だという気持ちと、そんなことをしたら駄目だという気持ちが湧いて出る。  だが『人』の潜在意識の奥底に潜む昏く熱い欲は、時によって何よりも狂気的だ。背徳を含んだ欲の倒錯さに溺れてみたいという感情もまた、同じ心の中に存在するのだ。  何よりも自分自身が思わなかっただろうか。 (……ああ、確かに僕は……思った)  ──両方、欲しいのだ、と……。  心の中の立ち位置が違うと分かっているあのふたりの、立ち位置ごと欲しいのだと。 「あ……」   一度思えばもう駄目だった。  胎内(なか)で食むふたりの指が、一層狂おしく愛しく感じられて、香彩は甘い声を上げた。内一人は思念体であれ、喧嘩別れをしてしまった想い人のものだから余計に。  全てが終わった後で、きっと後悔するのだろう。竜紅人(りゅこうと)には、紫雨(むらさめ)の愛撫によって濡れ声を出す自分を見られてしまうことに。紫雨には、竜紅人に愛でられて、今までとは違う感じ方をする自分を曝け出してしまうことに。 (……だけど、竜紅人が)  香彩の罪悪感を少しでも薄める為に思念体で現れた。それがとても嫌だと思う反面、もしもこの場に竜紅人が現れずに、儀式が終わったなら自分は、果たして竜紅人に会いに行けただろうか。もしくは幽閉から解放された竜紅人が、自分に会いに来た時、その目を真っ直ぐに見ることが出来ただろうか。 (……きっと僕は……)  竜紅人の前から……。  ……姿を。  消してしまっていたかもしれない。  分からないと、香彩は思った。  この儀式の、この狂宴の後に、何があるのか。何が残るのか。自分の心がどうなってしまうのか。  悲鳴を上げている心の何処かがあった。  だがそれは背徳に満ちた悦楽の奔流によって流されて、やがて聞こえなくなる。  あとに残った物は、狂宴に必要な欲望だけだ。   「──香彩」  色に掠れた官能的な低い声に呼ばれて、香彩は気怠げに顔を上げた。  香彩が見たのは、爵酒器に直接口を付け、神澪酒を含む紫雨の姿。  何をされるのか理解した香彩は、震える腕で身体を僅かに起こすと、自ら求めるように薄く唇を開く。  ふわりと香る神澪酒の濃厚な酒香に、眩暈がしそうだった。紫雨はどれだけ呑んだのだろうと香彩は思う。だが彼が酔うにはまだまだ足りない量だ。  やんわりとした優しい接吻が降りてくる。同時に口腔に滑り込んでくる神澪酒を、幾度かに分けてこくりと飲めば、熱い舌が香彩の舌先を擽った。 「……ふっ…」   神澪酒を纏う紫雨の舌が、まるで酒を塗り付けるかのように、香彩の口腔内を掻き回し蹂躙する。 「──ん……っ!」  くぐもった突声を香彩は上げた。  後蕾の浅い所を責めていた竜紅人の二本の指が、こちらも意識しろとばかりに、奥へと突き入れてきたのだ。

ともだちにシェアしよう!