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第198話 成人の儀 事後 其のニ

 香彩(かさい)を拘束していた竜紅人(りゅこうと)が、ゆっくりと足の絡みを、羽交い締めのようにしていた腕を解いた。  竜紅人には分かっていたのだろう。  儀式上、あの体勢に成らざるを得ないことも、あの体勢が駄目な理由も。 (……だから拘束した)   竜紅人自身の身体を使って。  より密着すれば、たとえ過去に囚われたとしても、想い人の熱を(よすが)に出来るだろうから。 (……現におまえは) (途中から俺を見なくなった) (俺を見ていないというのに、怯えた目で視線を絡めて、名前を……)  必死に名前を呼んでいた。 (こんな俺の名前を……)  香彩を未だ身体に乗せたままの竜紅人が、自身の肩に香彩の頭が乗るように、少し身体を横にずらした。  手で香彩の髪を慈しむように(くしけず)りながら、額に軽く接吻(くちづけ)を送る。  その身体が一瞬、透ける。  思念体だと忘れていた程に、完全な受肉を果たしていた竜紅人だったが、その身体が保てなくなるほど、神気が枯渇していた。  それもそうだろうと、紫雨は思った。  いくら本体と繋がりのあるとはいえ、思念体で神気を操り、身体を保つのには限度がある。  その上、想い人に神気を注ぎ、一部を術力持続の為に盛大に利用されたのだ。  ゆっくりとした点滅のように、竜紅人の身体が薄くなっては元に戻ることを繰り返す。 「……紫雨(むらさめ)、あとは……」  最後まで言い切ることなく、竜紅人の身体はまるで何かの糸がぶつりと切れるかのように、唐突に姿を消した。  その言外を理解して、紫雨がくつりと笑う。  ああ、任されよう。  室内にまるで残香のように残る神気の名残に、紫雨が語り掛ける。残香は紫雨と香彩を包み込むように舞うと、あっけなくその気配を消し去った。 (……だが、しばらくの間だけ許せ)   紫雨は上掛けを手に取ると、気を失った香彩の横に寝そべりながら、自分と香彩の身体にそれを掛ける。  湯殿へ行かなければと思う。  身を清めて着替えをし、出来れば夜が明ける前に、中枢楼閣外にある自分の屋敷へ移動しなければと思う。  四神を宿してしばらくは、馴染ませ慣らす為に身体を休める必要があった。  成人の儀が密儀であるとはいえ、交合によって行われることは、古参の縛魔師数人が知っている。密儀を終えて、滴るような色気を備えて眠る者を、あわよくばと思う者は少なくない。私室に結界を張るとはいえ、出来ればしばらくは、誰にも姿を見られない場所に連れて行きたいと思うのは、生まれてしまった独占欲故だろうか。  紫雨は香彩の身体に身を寄せ、綺麗な藤色の髪を手で(くしけず)る。  指の隙間に通る髪が、あまりにも愛おしい。 (……あともう少しだけ許せ、竜紅人よ)  心内でそんなことを思いながら、紫雨は香彩の無防備な額に、慈しむような接吻(くちづけ)を幾度も落としたのだ。      

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