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第199話 兆しの夢 其の一

   むせかえりそうな、雨のにおいがする白い空間に立っていた。  いつからここにいたのだろう。  何故歩き出そうとしなかったのだろう。  そう思えるほどに、自分はずっとここに経っていた気がする。 (……ああ、動けなかったのだ)  竜紅人(りゅこうと)に手足を拘束されて。  香彩(かさい)はゆっくりと一歩を踏み出す。  先程とは違って身体は『動こう』と意識し始める。  むせかえりそうな雨のにおいがした。  ほのかに陽は射しながらも、やがて霧の様な雨が降り、鮮やかに彩られていた世界を、淡くぼんやりとした風景に変える。  その白い世界の景色が、けぶる雨と光によって霞み渡るようだった。  だがどんなに霧雨が降ろうとも、自身は濡れることはない。 (……ああ、ここは)  夢床(ゆめどの)だ。  意識の奥に存在する、潜在意識の眠る場所だ。ここは繊細で、自分以外の者が近づくと不快に感じだり、普段気の合う者でも触らせることはない、誰もが持っている『自分』が『自分』であるための矜持の場所だ。  そして自分の経験や傷が眠る場所でもあるのだ。  以前もこうやってこの場所に立っていた。  あの時は、誰かに呼ばれている気がしていたが。 (……やっぱり誰かが呼んでいる)  それは唸り声となって、白い空間に響き渡った。  それは呼ぶ声。  呼びながらも求めて鳴く声。 (──僕、を……?)  僕を求めて鳴いているの?  香彩は進む。  声のする方へ、自分の求められている方へ。  暖かい霧雨の降る中、歩を進める度に白い空間の、地面にあたる部分に溜まった雨が跳ね返される。  水溜まりがあるのだと認識しているのに、感じる事が出来ない不思議な感覚は、ここが夢床であり、自分の夢の中なのだと改めて自我に自覚させるには充分な材料だ。  獣のような唸り声がする。  近付くにつれ、それが真竜の唸り声であることに香彩が気付く。 (……誰が僕を呼んでいるの……?)  自我の内に存在する真竜は、核と四神を含めて気付けば七体になっていた。そう自覚しても身体が重くならないのは、両親から受け継ぎ底上げした甚大な術力のおかげだろう。  山の恵みでもある湧き水のように、次から次へと湧き出てくる術力は、生まれ付いてから当たり前のように共にあるものだ。  だが。 (……あれ……?)  何も思わず一歩踏み出した時だった。 (進め……ない?)  この白い空間に道らしき道はない。だが何となく『こちらに進めるだろう』という確かな気持ちがあり、それが白い空間に自身の『道』を作る。  先程までは確かに『道』があった。  竜の唸り声に通じる道が。  だが。 (……何もないのに、進めない)  

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