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第204話 喪失 其のニ

 紫雨(むらさめ)大宰(だいさい)私室でもなく、大司徒(だいしと)私室でもなく、この屋敷に自分を運び込んだ理由を、香彩(かさい)は何となくだが察していた。  四神を身に宿した後、馴染ませる為に身体を休めなければならないと話していたことを思い出す。  四神(かれら)を宿すとはどういうことなのか。古参の縛魔師なら何が行われたのか知っている者もいるだろう。  たとえ私室に結界を張っていても、他の者達が生活をし、政務を行っているのだ。儀式を終えた者がすぐ近くにいることに、落ち着かない者もいれば、あわよくばと思う者もいるかもしれない。それに私室では生活のあらゆる場面で、人が関わってくる。食事を取るにしろ、湯を使うにしろ、どれだけ気を付けていても、何処かの場面で人と擦れ違うこともあるだろう。  竜紅人(りゅこうと)に気を付けろと言われたことを香彩は思い出す。竜紅人や紫雨の手前、あからさまな行動には移さないが、だが自分のことをどうにかしたいと思う不埒な者が一定数いるのだと。  この屋敷には強固な結界が張ってあり、術者以外の者が入ってくることはない上に、何よりも屋敷内には人が一人も存在しない。他の大司官の屋敷であれば使用人を雇うが、紫雨が私的な場所に対して、人に入られたくない性質だった。彼は使用人を式で賄い、自分達の世話を命じていたのだ。  今でもこの屋敷を維持させる為に、何人かの人形(ひとがた)の式達がいるはずだ。  香彩は無意識の内に彼らの気配を探る。  そして気になっていた紫雨も気配も探った。 (……どんな顔すればいいのだろう)   紫雨に会ってその顔を見た時、自分は一体どんな顔を、どんな思いを抱けばいいのか、香彩には分からなかった。  一夜限りとはいえ、想われてきた年数よりも激しい劣情を感情を、この身体に刻み付けられたと言っても過言ではない。 (それを僕は……今も覚えている)   ほんの数刻前だ。  彼がどんな風に接吻(くちづけ)をしたのか、どんな風にこの身体を開き、果てたのか鮮明に覚えている。  決して儀式の一環だけではない、まるで香彩の存在ごと奪うかのような激しさを。 (全てなかったかのように、全て忘れたかのように装って)  紫雨は自分の前に立つのだろうと、香彩は容易に想像が出来た。  それを酷く寂しいと思う自分がいる。  だがその激しい劣情を再びぶつけられてしまったら、途方に暮れる自分がいることも知っている。 (……紫雨……)  彼はどこにいるのだろう。  式に任せて自分だけここに置いて、中枢楼閣に戻ったのか。  それとも、ここにいるのか。 「──え」      そこで香彩はようやく気付く。  紫雨の気配がどこにもないことに。  

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