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第207話 国主 其の一

   春の嵐となったこの数日に比べて、今日は信じられない程に、雨と風が止んでいた。  空にはまだ雲が広がっていたが、日が差し、青空が少しずつ見え始めている。  何処からともなく舞い降りた小鳥が、雫の付いた春花を啄ばんで、何かを探すかのように頭を動かしていた。  その愛らしい姿に魅入られてしまって、つい筆を止めてしまう者がいる。  少し肌寒い風が吹いて春花が舞えば、小鳥は風に追われる様にして、何処かへ飛び去ってしまった。  名残惜しげにそれを見やって、再び書簡に目を落とすのは、壮年の男だ。  つまらない、とこぼす声は低くも美声。  見事な銀糸の髪と紫水晶の瞳は、この麗国唯一のもの。  城主にて、麗国の主。  名を、(かのと)という。  刃物のように研ぎ澄まされた美貌と冷淡な低い声、踵まで伸びた髪は高く結い上げ、まるで自分の身体を覆う様。先の尖った耳と異様に伸びた犬歯が、彼が人ではないことを物語っている。  人ではない者の血を受け継いでいる、と言った方が正しいだろうか。  その昔、この『麗』という地は妖、魔妖(まよう)の跋扈する荒れた土地だった。  人々はひっそりと隠れ住み、魔妖にいつ喰われるかと怯え、暮らしていた。  それを哀れに思い、人の為に堕天した慈悲深き神がこの地に降りると、魔妖は静かに身を潜めのだ。  何故なら彼は天にいる時から魔妖の神であり、人を魔妖から救う神でもあった。彼は人を守るためにこの地に居着いたが、人は彼を国の主に祀り上げた。  だが、神とて妖。  麗国は魔妖を王にすることで、魔妖から身を守っている国なのだ。  叶は書簡から目を離し、再び景色を見ている。  ここ麗国中枢楼閣は、城主の政務室である主君館と、大僕(だいぼく)政務室、六つある国の機関、六司(りくし)の政務室と、その大司官、司官の私室ある場所だ。  凹の形をしている楼閣は全六層にもなる。  叶がいるのは最上階にある、主君館と呼ばれる政務室だ。 「……おやおや」  見知った気配を感じ取った叶は、まるで面白いものを見つけた子供のように、にぃと笑う。  濃淡に咲き乱れる春花でもなく、この季節に喜びを謳う春花を啄ばむ小鳥でもなく、雲の合間から差す日の光でもなく、彼はただひとりの人物を見ていた。  先日、成人の儀を終えたばかりの者だ。  そしてこの度、晴れて大司徒(だいしと)の位を継承した若き大司官だ。  大司徒(だいしと)というのは国の安定と安寧を願い、祈祷や占術を行なう術者達の束ねであり、彼らは縛魔師と呼ばれている。  魔妖に対する最も効果的な『力』を備えた彼らは、主君を国を守る為に存在するが、内に棲む妖力の強い王を見張る役目も担っている。  言い方を変えてしまえば、主君から国を守る為の部所でもあるのだ。 「──ですが、この報告が事実であるなら縛魔師の未来は、いささか不安、ですねぇ」

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