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第208話 国主 其の二

 くすりと嗤い、(かのと)は眼下の者を見続ける。  彼が歩みを止めた。  縛魔服と呼ばれる、白の布着に紅紐で胸と長い袖部分に縫い取りの装飾を施してある、いわば正装で彼は誰かを待っているようだ。  その表情こそ窺い知れなかったが、彼にはどこか影のようなものがあった。  まぁ一目瞭然、ですがねぇと叶は呟きながら彼から視線を外し、空を見上げる。  いつもなら見えるはずのものが、存在しないことに薄っすらと笑う。  麗城中枢楼閣は大司徒(だいしと)の強力な『護守』と呼ばれる結界で守られている。それは四つの城門に宿る大司徒の式神、四神の力を借りて形成されていた。  結界は妖力の強い『大物』の魔妖(まよう)を対象としており、大司徒の許可がなくては結界内に出入りできない強力な物だ。  ただ、それはあくまでも表向きの理由であり、副産物に過ぎない。  実際は、魔妖の王の妖力を抑え込み、城へ閉じ込めるためのもの。  人は魔妖からその身を護るために、魔妖の王を国主に戴いたが、警戒を怠ることはしなかった。  彼君は天にいる時から魔妖の神であり、人を魔妖から救う神でもあったが、妖であることに変わりはなかったからだ。  密儀として先日執り行われた縛魔師の成人の儀の後、すぐにこの身体が楽になった。  ずっと付けられていた重りのような物が、突如消えて失くなったと言えばいいだろうか。  自分を監視し、いつも付き纏う、薄くてほんの少しばかり苦しい膜のようなものが失くなり、酷く息がしやすくなったと言えばいいだろうか。  それは大司徒が持つ四神の形成する、中枢楼閣を守る為の『護守』と呼ばれる結界が、消失したことを意味していた。  叶にとって檻そのものが消え去ったと、言ってもいい。 (……まぁ、私にとって結界がないことは良し悪し、なんですけどねぇ)  いわゆる中枢楼閣の『外側』いる魔妖達は、叶がここにいる限り人を狙って襲ってくることはない。  神妖とも称される魔妖の王に、喧嘩を売りに来る魔妖など滅多にいないし、いたとしても何かしらの理由がある者が多い。 (──それがまぁ、面倒なことで)  自分絡みで城や城の者に被害が及べば、必ずこの国の成り立ちから言及してくる輩が出てくるのは、もうお約束のようなものだ。 (実に……面倒)  あとは自身の妖気だ。  どんなに抑え込んでいたとしても、次第に漏れ出て溢れるだろうそれを食い止め、無効化する『護守』が存在しない今、じわじわと空気が侵されていく。  強すぎる妖気は、人にとって毒でしかない。  それに神妖の妖気に触発されて、楼閣内にいる無害な魔妖達が活性化する可能性もある。 「……城下で何かあれば、私を叱り、私を悲しんでくれる人がいるんですよ」  再びくすりと叶は嗤う。  叶にとって、人も魔妖もそして真竜も、大いなる生命の営みの、大きな流れのひとつに過ぎない。大局を見、個に寄り添う意識が薄いと言った方がいいだろうか。  だがその大局も個も、両方で怒り、悲しむ者がいる。  出来れば叶は見たくないのだ。  その者の、悲しむ姿を。 「……なので早急にどうにかして頂かなければ」  ねぇ? 香彩(かさい)。    縛魔師を筆頭に、ひっそりと、まことしなやかに広まる噂がある。  大司徒、香彩が術力を喪失した、と……。

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