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第218話 影 其の二

 お互いに、何も言えず、何も言わず。  紫雨(むらさめ)香彩(かさい)の横を通り過ぎようとした、その刹那の間。  影を視た気がした。  人の気配を感じる『力』も、失ったはずだ。だというのに影が紫雨の身体を(いだ)いて絡み付いてる、そんな何かを見た気がした。  それは二の腕の異様に長い……。 「──っ……! 紫雨っ!」  咄嗟に紫雨を呼び止めながら香彩は、彼の衣着の袖を無意識ぎゅっと掴み、引っ張る。 「その影……っ! 病鬼だよね……?」 「ほぉう? 少しは読めるようにはなったか」 「……っ」  香彩は息を詰めた。  決して気配が読めるようになったわけではない。見覚えのある影を、ほんの一瞬だけ捉えた、ただそれだけだった。  今はもうどんなに目を凝らしても、あの影はもう見えない。だが見鬼(けんき)の鋭い者が紫雨を見れば、今でも紫雨はあの異様な腕の影に(いだ)かれているのかも知れない。  どうして、という言葉が、思わず口を衝いて出る。 「……だって病鬼は……っ」 「それをお前が言うのか? 香彩」 「……っ」  言葉に詰まりながら、何とも言えない思いに胸を衝かれながら、香彩は奥歯を食い縛った。  病鬼がこの中枢楼閣内に出て、(かのと)が払ったという噂を聞いた。それは全て『力』を失った、不甲斐ない自分の責任だ。  だが何故叶が払ったはずの病鬼が、紫雨に憑いているのか。病鬼は複数いたのか。 (──まさか……)  ここまで考えて、香彩の背中に冷やりとしたものが伝う。  何やらとても嫌な予感がした。   「だ、誰かに……祓ってもらわないと……!」    病鬼は精神体の鬼だ。  精神体でいる内は、一般的な術力を持った縛魔師でも祓うことの出来る、低級鬼に分別されている。  だが人に憑いてしまった病鬼は、縛魔師の術で浄化させない限り、祓うことが出来ない。だがそれには、高度な術式が必要となってくる。  術者の力は年年歳歳の酷使の経過、全体的に術力が衰退の一途を辿りつつあった。力を持つ子供の出現率が窮めて少ないのだ。それに加えて、たとえ力を備え持って生まれたとしても、微量であったり、成人になる前に術力の源そのものを、喪失してしまう者も少なくはない。  縛魔師の中でも『古参の道師』と呼ばれる者達がいる。減衰の一途を辿る彼らの中でも『術力』を減少させつつも、細く永らえた者達の総称だ。『術力』は総量は少なくとも、あるひとつの『力』に長けた彼らの中には、まだ病鬼を祓える者がいるはずだ。  病鬼は徐々に身体を弱らせる。  その纏う妖気は呼吸器官を侵し、抵抗力を低下させ、別の病気を呼び寄せて憑いた者を死に至らしめる。病鬼と呼ばれる由縁だ。  

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