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第220話 更なる穢れ 其の一

 西日が石畳に長い影を落とす中、香彩(かさい)はどこかぼぉうとした心地のまま、楼閣外の屋敷へと帰路に着いていた。  日が傾くにつれて、日中とは打って変わったような冷えた風に、香彩は身を震わせながらも、ひたすら門に向かって歩みを進める。  もうすぐ閉門の銅鑼が鳴る。  城門は一度閉じてしまえば、朝の開門まで開くことはない。  南の朱門まで戻っていたら間に合わないと悟った香彩は、すぐ近くの白虎城門から楼閣城壁外へ出ようと思った。  ここから出てしまうと屋敷までの距離が遠くなってしまうのだが、閉門して朝まで中枢楼閣から出られなくなるよりはいいだろう。  中枢楼閣にも確かに私室はあるが、今は避けたいと思った。六層目という高楼に辿り着くまでに、どれ程の人の視線を浴びるだろうか。それを考えるだけで、香彩は辟易とした気分になる。 (……それに)  私室に入ればどうしても思い出してしまう。  竜紅人(りゅこうと)と同じ上掛けで眠った日のことを。  だがそれはいま歩いているこの石畳の道にも、同じことが言えた。  門に近付くにつれ、道の脇に植えられている桜の木が、一定の方向に向かって抉られ、薙ぎ倒されているのが見える。そして綺麗な石畳は割れ、地面が剥き出しになり、ある形に沈んでいた。  それは蒼竜の足跡だ。  まさにここは香彩が、激昂した蒼竜に連れ去られた場所だった。  あの時は自分自身のことと、療のこと、そして蒼竜のことで頭が一杯で分からなかったが、蒼竜は周辺の景観に結構な被害を与えていた。  修繕し始めたような様子もないことから、元々人気のない道ということもあり、後回しにされているのかもしれない。  そんなことを考えながらも、香彩はふと立ち止まり、蒼竜の足跡に触れた。  すぐ近くに白虎門があるとはいえ、早く門を越えなければ中枢楼閣に閉じ込められることになる。分かってはいたが、香彩はあの日のことを思い出しながら、少しでも蒼竜の跡に触れたいと思った。  ざらりとした土の感触を確かめながら、香彩はもう片方の手を胸の中央に置く。この衣着の下に、強請って付けて貰った唇痕がある。神気の籠められていたそれは、あの儀式で本体と思念体を繋ぐ媒体となったのは、記憶に新しい。他の唇痕が薄くなり消えて行く中、この唇痕だけは痛々しくも毒々しい紫色のまま、未だに残っている。しかも忘れるなとばかりに、時折熱く疼くのだ。 (……竜紅人……)  人形の思念体で現れた彼を思い出しながらも、香彩の胸にあった手は、やがて自身の唇に触れる。  あまりにも不埒だと自分を叱咤するが、先程の唇の感触が、舌の熱さが、送られてくる紫雨と竜紅人の『力の塊』の甘さが、どうしても忘れられない。  中途半端に目覚めさせられた熱と、蒼竜に連れ去られた道での思い出に、どこか茫然としたまま、香彩は白虎門の監査を受けて門を通り過ぎた。  

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