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第226話 黎明 其の一

   眠りについていた香彩(かさい)は、外からゆっくりと室内に流れ込むかのような黎明の気配に、ゆっくりと目蓋を開けた。  この数日ですっかりと見慣れてしまった天井の木目が視界に入って、深い安堵の息をつく。  また意識が何処かへ連れて行かれるのではないか、現実(ここ)ではない何処かで目覚めるのではないか。そう思い、恐れる自分がどこかにいる。  だから目が覚めて、最初に認識するのが見慣れた物であれば、安心出来るし実感も湧いてくるのだ。  自分はちゃんと現実(ここ)にいるのだ、と。  香彩が木目の天井の次に、認識したのは、卓子(つくえ)の上に置かれた香炉だ。  (くゆ)らせた香りに誘われるように、香炉を視界に入れた香彩の心情は複雑だった。  本来であれば感じ取ることが出来たはずなのだ。  この室内に占められている、まるで冬の早朝のような、きんとした清らかな気を。  神儀薨香(しんぎじゃこう)という。  南は愚者の森に住むとされる、蛇神の化身とも云われのある白蛇の抜け殻を乾燥させ、香器で(くゆ)らせ薫く香だ。欲と穢れを落とし、魔妖を追い払う効能があるそれは、蒼竜の神気の香りと、とてもよく似ている。  貴重な品でもある神儀薨香(しんぎじゃこう)は、本来ならば国の祀事の前日に、身に纏うように焚き()めるものだ。  国主(かのと)の勅命により、自身の屋敷に幽閉されてから三日。  香彩はその香をずっと燻らせながら、咲蘭(さくらん)から貰った黒い羽を肌身離さず身に付けていた。  少しでも身の内の穢れが薄まればいいと思った。そうすれば夢床(ゆめどの)へ降りられるかもしれないと、この気脈の切れてしまった『力』の喪失の、根本へ辿り着けるのではないかと思った。  だが『自分自身』が『自分』を守る為に、夢床に降りることを拒絶している事実が、香彩を怯ませる。  夢床は自身の深層意識でもあり、過去の経験や傷の眠る場所だ。只人ならば自覚することが難しい曖昧な場所だが、縛魔師の中でも特に感覚に鋭い者ならば、その深層意識を明確に見ることが出来る。  朧気な記憶として残る、紫雨(むらさめ)とのあの事件のことも例外ではない。  そして数日前に起こった()の:(・)()()も。  夢床は自らが自己防衛の為に忘れていることですら、事細かに灼然と映し出すだろう。 (……夢床に降りるのが怖い、だなんて)  それこそ縛魔師失格だ。  縛魔師は自分自身や相談者の夢床を覗き見て、夢を解いて真実を読むのが仕事のひとつだというのに。 (『力』を失くした自分『縛魔師』を名乗るだなんて、烏滸がましいな)  それでも失くしてしまったものに既に何の感情も抱けず、蒼竜に熱を貰って姿を消そうとした自分を、我に返らせ大いに奮い立たせたのは、皮肉にも国主(かのと)詔勅(みことのり)だった。

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