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第233話 雨神の儀 其の三

 香彩(かさい)は、陣の上で立ち止まった。  木床に紅筆で描かれたそれは、これから召喚する雨神(あまがみ)の紋様だ。  ふと先日まで描かれていただろう、四つの陣を思い出してしまって、香彩は軽く首を横に振った。  更に思い出してはいけないことを、思い出しそうになる。  雨神の陣の描かれているのは、潔斎の場の中央だ。  まさにいま立っているこの場所で、自分は大切なふたりと目合(まぐあ)ったのだから。  あれからそんなに時が経っていないというのに、自分の『中』は随分と変わってしまった。それこそどうしようもないと、ここから逃げて、蒼竜に熱を貰い、姿を消そうと思い立ったぐらいに。  視線を合わせたまま、香彩は(かのと)に向かって一礼をする。次に叶の両隣にいる大宰と大僕に、そして五人の大司官に一礼。  そして縛魔師と、古参の道師に一礼。  彼らの表情は固く暗い。それもそうだろうと香彩は思う。縛魔師の中でも感覚の鋭い者ならば分かるはずだ。香彩を取り巻く気配が、いつもと全く違うことを。香彩の『中』にあるはずの、術力の根源とも云える青白い光が、全く見つからないことを。  それが何を意味しているのか、その上でこの陣の上に立つことがどういうことなのか、分からない彼らではない。 (──(てい)のいい人身御供(ひとみごくう)だ)  昔の(よし)み且つ、皇族でもある療の友人という立場と、蒼竜の御手付(みてつ)きという立場でもある、香彩という存在からの呼び掛けならば、応じて降りて来てくれるかもしれない。  だがその後は。  契約の代償として捧げる術力(もの)がない以上、術力(もの)に変わるものを用意しなければ、雨は約束されないだろう。 (……出来れば場所を変えてほしいところだけど)  衆人環視の中、身を捧げるのは御免だ。  だがそれも雨神雪神(かれら)次第だということは、よく分かっている。  

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