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第234話 雨神の儀 其の四

 香彩(かさい)は心を切り替えるかのように、もしくはこれからのことを思い、自身を奮い立たせるかのように、大きく息をついた。  そして祭壇と五穀の供物のある左側に、身体ごと向きを変えようとした時だ。  その視界の端に何かを捉えた気がした。 (……っ!)   ようやく頭が認識したそれは、彼君(かのきみ)の。  細められる目。  にぃ、と嗤うそれに、生理的な恐怖感が心の奥から湧いてくる。 (──何を)  何を、嗤うのか──?  脳裏に彼君の笑みを残したまま、香彩は祭壇を見据える。    しゃん……という『申し子』の神楽鈴に合わせて、潔斎の場の門の閉じていく音が聞こえていた。   門を閉める。  その動作もまた『申し子』の重要な仕事だ。  術者を『場』の中央に描かれた陣にまで先導した後、穢れの入りやすい門に、神楽鈴を鳴らす。そして『門を閉める』ことにより『場』を清浄に保つ結界が、より強固な物となる。  やがて門の閉じる音と、『申し子』の神楽鈴が、大きく厳かに潔斎の場に響いた。  それはまさに、祀りの始まりの合図。  香彩は祭壇へ向かって一礼をし、雨神の陣から一歩を踏み出した。  本来ならそのまま祭壇の前まで行き、五穀とと共に供えられている大榊を両手に戴いた後、祭壇に背を向けずに、再び陣の中央へと下がる。そして大榊に祀事用の祀祗(しぎ)札を貼り付けて、召喚の為の『力ある言葉(ことのは)』を唱えるのだ。  だが雨神の陣より一歩、踏み出したまま香彩は止まっていた。  周りの訝しむ声が聞こえてくる。  だがそれ以上に香彩を占めるのは、ありえない程の『嫌な予感』だった。  この先に進みたくないと、思わず思ってしまう程の予感がする。  そして自分は何かとんでもないことを見落としている、そんな予感が頭から離れてくれないのだ。 (……何? ……何だ?)    

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