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第236話 災悪の魔妖 其の一

 視線の先にいる紫雨は、苦し気な表情で胸部の着衣の合わせ目を握り締めていた。  だが力の込め方が尋常でない。  白くなった手で縋るかのように自身の衣着を掴み、やがて隠すことが出来なくなったのか、荒い息を()く。  紫雨(むらさめ)の周りにいる者達も、香彩(かさい)の凝視する視線によって、初めて紫雨の異常に気付いたのだろう。 「紫雨殿。いかがなされた、紫雨殿!」 「──その気配、病鬼か。何故……おっしゃらなかった」  紫雨のすぐ近くにいた古参の導師のふたりが駆け寄り、声を掛けながら彼の身体を支えようとした。だが紫雨はその手を払いのける。  ──刹那。  紫雨が激しく咳き込んだ。  まるで心の臓を鷲掴みにするかのように、胸を押さえている。そして咳を外部に出すまいと、口を覆う指と指の隙間からは紅い物が溢れ、ぼとぼとと木床に落ちた。 「──むらさ……!」  香彩は大榊を投げ捨て、紫雨の元へ駆け寄ろうとした。  だが何か感じた強い違和感に、躊躇する。  これじゃない、という思いが頭の中を占めるのだ。  これじゃない。  先程感じた『嫌な感じ』は、こんなものじゃない。 (……じゃあ、この感じは)   どこから……?  彷徨わせていた視線が何を思ったのか、門を視る。紫雨が喀血し、苦しんでいるというのに、香彩は門が気になって仕方なかった。  『申し子』が控えている門は、先程確かに神楽鈴と共に閉められたはずだ。  だがその門が、少しずつ、少しずつ(ひら)いていく。  戸惑う『申し子』が何かを察したのだろう。怯えた表情でこちらに向かって走ってきた。  それもそのはずだ。  (ひら)いていく門の隙間から、ぞっとする程の冷たい空気が、外から流れてくる。  そして……。  侵入してきた  もの。  

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