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第239話 災悪の魔妖 其の四

 憑く対象となるものに。  もしくは『憑く対象』を媒体した、誰かに。  だが人は招影(しょうよう)を呼ぶということをまずしない。彼らを呼ぶという感覚は『嫌な予感』を覚えるそれと酷似していて、人はそれを避けようとする本能がある。呼ぶ前の段階で人は防波線のようなものを張り、拒否してしまうのだ。  人がそれを、()()()()()()()しなければ。  周り者がじりじりと、紫雨(むらさめ)から後退りを始めた。結界を張ろうとしていた古参の導師と縛魔師達が、彼に向き直りながらも、周辺に漂う招影(しょうよう)を警戒する。  そんな中、香彩は紫雨から視線を外せずにいた。外すことを赦されなかったと、言った方が正しいだろうか。  どこか不気味さのある紫雨の強い視線が、香彩をその場に縫い止める。  視界の端に捉えた、国主がにぃと嗤う様を、一体どれだけの者が気付いただろうか。  (いと)われ魘鬼(おに)(あで)やかに嫣美(うつく)しき、怨瘟(おんおん)と恨み怨まれ病んだは陰陽の雛子(とり)。  尊び敬われそして、(いと)われた魘鬼(おに)は、美しき美貌をもって艶やかに嘲け嗤う。  鵬雛(ほうすう)たる縛魔の子は、元鵬(げんすう)の怨恨の念に病み、魘鬼(おに)は氷様の様をただ嗤う。  その様子を一体何に譬えたら良かったのだろうと、背筋にぞくりとしたものを感じながら、香彩は思った。  神木の床にやたらと長く伸びていた紫雨の影が、ゆっくりと()()()()()()。それは仰向けに寝ていた人が身を起こす動作にも似ていたが、起き上がったものは明らかな異形だった。  紫雨の影は労り慈しむかの様に、紫雨自身を長い腕で包み込む。途端に彼の腕が力を失い、戒めを解かれた咲蘭(さくらん)の身体が床に落ちた。  影は裂けた紅い口を晒して、声を立てずに静かに香彩に向かって嗤った。  その異様な光景に、香彩は生理的な嫌悪感に襲われる。冷たい汗が背中を伝う。

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