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第240話 災悪の魔妖 其の五

 譬えるならそれは。  羽を毟られ蟻の群れに放り込まれた蜻蛉。  胸部のみを晒した蜘蛛。  互いの身体を貪り喰う、無数の蠢蠱(しゅんこ)。  まさに今の紫雨(むらさめ)の姿は、元の形を留めることが出来なくなり、餌食と化した(もの)を思い浮かばせた。  紫雨から出ているあの黒い影は、彼の身の内に巣食う病鬼と呼ばれるもの。 (……否)  彼を媒体にし、彼の僅かな術力を利用して急激に成長した、精神体の鬼と呼ばれるもの。 (紫雨……っ!)  厭魘艶嫣(えんえんえんえん)怨瘟陰鴛(おんおんおんおん)。  厭魘艶嫣(えんえんえんえん)怨瘟陰鴛(おんおんおんおん)。  厭魘艶嫣(えんえんえんえん)怨瘟陰鴛(おんおんおんおん)。  厭魘艶嫣(えんえんえんえん)怨瘟陰鴛(おんおんおんおん)。  厭魘艶嫣(えんえんえんえん)怨瘟陰鴛(おんおんおんおん)。  厭魘艶嫣(えんえんえんえん)怨瘟陰鴛(おんおんおんおん)。  気味の悪い鳴哮の忌み声の中にある、彼の官能的な低い声に、紡がれていく言の葉に、香彩(かさい)は声を上げて否定したい衝動に駆られた。  捉えられた視線が、紫雨の変わり果てた姿をずっと映し続けている。  もう見ていたくない。  もう、聞きたくない。  そんな香彩の心の葛藤を嘲笑うかのように、影が腕を伸ばし、香彩を指差した。紫雨自身もまた影に操られる人形のように、香彩を指差す。 「──っ!」   香彩は息を詰めた。  影と紫雨の指先に集まっていく、蒼白い光を見たからだ。  一部の縛魔師が、今はまだ漂うだけの招影(しょうよう)を避け、開け放たれた門から年若い縛魔師達を避難させているのが見える。  紫雨を警戒していた古参の導師と、国主と五人の大司官を護る縛魔師達が、じりじりと後退を続ける中、(かのと)だけが薄っすらと嗤い、その場に留まっていた。  その異様な光景の意味を考える余裕など、他の者にはないのだろう。 「……駄目……っ! 早く! もっと早く下がって! 逃げてっ!!」  精神体の鬼と招影(しょうよう)に憑かれた者が『力』を発動させるその意味。  捉えられた視線を何とか振り切って、香彩は古参の導師と縛魔師に向かって叫んだ。 「──早く!」  ──モウオソイゾ、カサイ。

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