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第241話 災悪の魔妖 其の六

 それはあまりにも冷たい、冷たい声だった。  香彩(かさい)が敏速に振り返ったその先には、影の助けを借りて、ゆらりと立ち上がる紫雨(むらさめ)の姿がある。  ──オソイゾ、カサイ。  今まで聞いたこともないような冷然としたその口調に、ぞくりとしたものが背筋を駆け上がった。同時に、酷く遣り切れないものが胸の中を占める。    ──……!  紫雨の声が『力ある言葉』となって、潔斎の場に響き渡った。  香彩とよく似た類の術力の波動の中に、ひどく穢れた怨詛が病鬼の妖気と混ざって、水面の波紋の様に潔斎の場に広がっていく。  状況をいち早く察した古参の導師のひとりが、皆に下がれと、この場から離れよと叫ぶ。  皆が門に向かって走る中──。  ──漂っていた招影(しょうよう)の動きが止まった。  香彩はこの微妙な人の動きのずれに、奥の歯を噛み締める。 「──駄目……っ! 駄目だ、今は……っ!」  そう香彩が叫んでも、もう誰も聞いてはいなかった。  精神体の鬼と招影(しょうよう)に憑かれた紫雨が、自身が持つ術力をこの『場』に巡らせた。それは『場』の支配権が、紫雨に移ったことを意味していた。  ──呼ばれた招影(しょうよう)も同様に。  イケ、と。  紫雨が命じる。  その勅命のままに招影(しょうよう)は、動いているものに反応して襲い掛かった。  招影(しょうよう)は人の心の臓を狙って、その長い二の腕部分を貫かせるが、外的な傷などは一切見られない。招影(しょうよう)の起こす傷は、人の内側、人の心の部分だ。絡みつく念に罪悪感が刺激され、忘却された苦痛の記憶が甦り、人の心を死に至らしめる。   触れられ、貫かれた数人が、やがて頭を抱え目を覆い、涙と唾液を垂れ流して、泣き声とも叫び声ともつかぬ声を上げ始めた。  苦悶か絶叫か発狂かを思い起こす人の引き攣った声は、見ている者を混乱させるのには充分な材料だ。  それでも剛の者は、招影(しょうよう)が動いている者に反応するのだと気付き、その動きを止めた。  もしくは貫かれた人の声を聞いて腰が抜け、動けなくなった者がいた。  そういった者達は、招影(しょうよう)に襲われることはなかったが、悲痛な人の声をずっと聞き続ける羽目となる。

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