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第243話 災悪の魔妖 其の八

「……っ!」  病鬼の手の動きに、香彩(かさい)は息を詰める。  頬を慈しんでいたそれが、ゆっくりと下がり、香彩の首に触れたのだ。  いつの間に伸びてきたのか、二の腕部分のやたら長いもう片方の手もまた、香彩の首にやんわりと触れる。  病鬼の手の両親指が、香彩の喉を軽く押した。  ただそれだけだというのに、香彩の身体は凍り付いたかのように動けなくなる。冷たい汗が、つつ、つつと、背中を伝うのが分かって、その何ともいえない寒さに、香彩は身体を震わせた。  病鬼が裂けた赤い口を見せて嗤う。  それに操られるかのように、くつくつと、官能的な低い声が笑う。  本気で首を締めるわけではない。  ただ香彩の反応を見て楽しんでいる。そんな病鬼の様子に腹立だしい気持ちが湧いてくる。だがそれ以上に面白そうに笑う紫雨(むらさめ)に対して、寂しくて悲しい気持ちが心の中から迫《せ》り上がってきた。 「……むら、さめ……っ」  香彩が呼んでも紫雨は何の反応を示すことはなかった。ただ冷たい目が香彩を見据えるだけだ。  あの時も。  あの夜も。  もう朧気しか覚えていないけれど、こんな風に、こんな氷のような、ぞっとするような冷淡な目付きで、自分を見下ろしていたのだろうか。  何の感情も見えない目で自分を見て、嗤っていたのだろうか。 「……ら、さめ……っ」  彼の心の奥底にあった、ひた隠しにしていた『恨みの心』は、それほどに深いものだったのだと、香彩の心が認めたその時だった。   散々になっていた心と身体を繋ぐ気脈の、ほんの僅か一部が、かちりと噛み合ったような気がした。  懐かしい物を少しだけ返して貰った、そんな感覚に香彩は、病鬼の手に添えるだけになっていた自身の手に『力』を込めてみる。  蒼白い光が病鬼の手を撃った。  それはまさしく失くしたはずの、術力の発動だった。  香彩は目を見張る。 (……これは一体どういうこと……?)

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