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第273話 偽りなき真実 其の八
「……何をそんなに泣いているの? 君が望んだんでしょう? 望み通りになったのに、どうして泣くの?」
紫雨 と乳飲み子しかいなかったはずの部屋に、いつの間にかもうひとつの気配があった。
ぐったりとした赤ん坊を挟んで目の前に座るのは、銀糸の長い髪を持った、幼い鬼子だ。
声に驚いたのか、彼の嘆きが止む。
告げられたら内容に、違うと声をしゃくりあげながらも、頭を横に振る。
鬼子は表情を動かすことなく、澄んだ紫闇 の目で、紫雨のそんな様子をただ見つめていた。
違う、違うと弱々しく呟く彼の姿に心が痛む。
先程の幻影で自分は確かに紫雨に求められていたのだと知った。だが彼の最愛の人を奪ってしまった香彩 の罪の意識と、赤ん坊の自分をここまで憎んでいたのだという紫雨の愛憎の念。この二つが香彩の周りに渦巻いて、どうしても素直に受け取ることが出来なかった。
(……けど……!)
初めて彼の引き攣るように泣き叫ぶ姿を見て、もしかすると彼にとって自分という存在は、大きいものなのかもしれないと思った。
幼い鬼子が乳飲み子の額に触れる。
仄かに光るその一点を、確かに見たその刹那。
鬼子は軽く指弾する。
その僅かな痛みの中にある大いなる気配を、香彩はなんとなく覚えていた。
乳飲み子の小さな身体にその気配が行き渡ったその時、まるで火が付いたかのように赤子は大きな声で元気に泣き出す。
その声に応じるように、今まで乳飲み子の内から感じることのなかった『力』の気配が大きく膨らんで溢れ出した。
蒼白く光り、畝りを見せるそれはまさに『河南』の血筋において、男児に引き継がれることのなかった『術力』だ。
一度黄泉に渡り、魔妖 の王の『妖力』によって現世に息を吹き返した乳飲み子は、本来ならば内に潜んだまま目覚めることのなかった『力』を覚醒させてしまったのだ。
何という皮肉だろうと、香彩は思う。
生まれてすぐにこの『力』が発見されれば、自分と紫雨を逃がした母は、身内に殺されなくても良かったというのに。
(……きっと紫雨も)
そう思ったはずだ。
だが紫雨は。
力強く畝る『術力』の奔流ごと、激しく泣く乳飲み子を掻き抱いた。もう離すものかと言わんばかりに抱き締めながら、彼は啜り泣く。
そんな紫雨の姿を鬼子は、何の感情も映さない紫闇の目で見つめていた。
そして一言告げるのだ。
この子の記憶を封じた、と。
「……っ!」
紫雨が息を詰めて鬼子を見た。
鬼子はそっと乳飲み子の頭を撫でてから、彼独特の抑揚のない口調で言う。
「本来なら『術力』を引き継ぐことのなかったはずの子供だもの。その『力』を受け止める容量が、果たしてあるのかどうかも分からない。それに実の父親に殺されかけた記憶は、きっと後に『力』の暴走の一端となる。この子は心の奥底でこの出来事を覚えているよ。遠い将来のことだけれども、詰られ恨まれる覚悟だけはしておいた方がいい、紫雨」
それとも今一度、黄泉へと返すか? と。
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