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第276話 偽りなき真実 其の十一

 ──忘れるでないよ、蒼竜の咆哮を。お前を守り、導くものえ。恐れず闇を見りゃ。闇を暴き、偽りなき真実を視せる、厄を払う啼声を忘れるでないよ。  不意に雨神(あまがみ)の声が、頭の中を過る。  闇を暴き。  偽りなき真実を視せる。  厄を払う啼声。    暗がりの路地の幻影が消えて、再び闇に包まれる。  ──何故あの方が『力』を失われなければならない。  ──何故……!?  真っ暗な空間に響くのは、酷く苦しげで悔しげな男の声だ。  その声を香彩(かさい)は、昔からとてもよく知っている。  彼は紫雨(むらさめ)司徒(しと)だった時からの副官だ。彼には縛魔師に関するたくさんのことを教わった。  幼竜だった竜紅人(りゅこうと)に面倒を見て貰っていた幼い頃の香彩は、竜紅人が人形(ひとがた)を得て後に政務に就く際、大司徒(だいしと)、司徒専用の仮眠室でもある少憩室に預けられた。  仕事の合間に紫雨が、香彩の様子をすぐに見に行けるからという配慮だったらしい。だが紫雨は多忙だった。少憩室にはたくさんの縛魔師が、代わる代わる香彩に構いに来たが、紫雨は数える程度。縛魔師の中でも特に、紫雨に頼まれたのだと仕事の合間をぬって、よく香彩に会いにきたのが(ねい)だった。彼は香彩を面倒を見る傍ら、お手伝いと称して『縛魔師の仕事』を少しずつ教えてくれたのだ。  紫雨が大司徒と大宰(だいさい)を兼任するようになり、その比重は当然のことながら、六司(りくし)の長である大宰に置かれた。紫雨と共に政務に就き、大司徒のする仕事をずっと見てきたおかげか、まだ司徒でありながらも戸惑うことなく仕事が出来たのを覚えている。  寧は当然、紫雨に付いていくのだとばかり思っていた。  いくら重きを大宰に向けているといっても、大司徒との兼任だ。香彩がある程度、大司徒の仕事が出来るとはいえ、裁可の最終決定権はまだ紫雨にあるのだ。仕事の量が増えた紫雨に、寧が補佐に回るのは当然のことだ。  だが紫雨は寧を香彩に付けた。慣れ親しんだ者を香彩の側に置いて、自分は新しい副官をと思ったのだろう。  実際、紫雨は新しい副官を付けた。だがその誰もが紫雨と合わなかった。寧がふたりの補佐に付いたのは言う間でもないが、その八割は当初の予定通り司徒に付けられたのだ。  親や親代わりだった紫雨や竜紅人よりも長い時間共にいた。まだ色々不慣れだった自分を助けてくれたのは寧だ。   あの声は隣でよく聞いていた声に違いなかった。 (……その全てに)  下心があったなんて、思いたくない。  だが蒼竜は啼いたのだ。  まさに自分が襲われている幻影に対して、啼声が聞こえたのだ。    ──招影(しょうよう)によって視えなかった真実があるえ。それは知り得たことでもあるし、知り得なかったことでもある。逸らさずに見りゃ。あの闇の中には、香彩自身が知らなかった、人の思いも隠されているからえ。  不意に雨神の言葉が頭の中を過った、まさにその時。  まるで闇を真っ二つに裂くかのように、香彩の目の前に現れたのは、皇宮母屋(こうきゅうぼや)の第三層にある、大宰の政務室だった。  

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