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第277話 偽りなき真実 其の十二

「……香彩(かさい)……っ!」  紫雨 (むらさめ)が格子窓の桟枠に拳を打ち付けている。  その悔しげながらも、どこか官能的な低い声で名前を呼ばれて、香彩の鼓動が高鳴る。  今一度、紫雨は格子窓の桟枠に拳を打ち付ける。そして桟枠越しに見るのは、皇宮母屋(こうきゅうぼや)から中枢楼閣へと繋いでいる渡廊(わたろう)を歩く香彩の後ろ姿。  その眼光の強い深翠が、ゆらりと揺れる。 (……あの時の……)  『力』を失くした後、自分は何を求めているのか分からないまま紫雨の元を訪れて、門前払いになったあの時の光景だ。  心のどこかにあった甘えの感情を、背中から鞭で打たれたかのような気がした。過ぎたことだと分かっているというのに、苦い思いが胸から滲み出て、口の中を渇かせる。  だがそれ以上に。  苦悶の表情を浮かべ、渡廊から見えなくなるまで香彩を見続ける紫雨の姿に、胸が締め付けられた。 (……だけどこの光景に)  一体何の意味があるのだろうと、香彩は思う。  もしかしてあの時、大宰(だいさい)政務室に(ねい)がいたのだろうか。  だがいま目の前に映る光景には、紫雨しかいない。  やがて。  不意に現れるのは国主、(かのと)。  気さくにそしてどこか楽しそうに話をする叶だが、その内容はあまりにも不穏だ。 「精神的過負荷による術力の喪失。ならば別の要素を持った過負荷をぶつけてやれば良い。目には目を……とまでは言いませんが、例えば術力が使えなければ……」  貴方が死ぬ、とか……?  楽しそうに笑いながら言う叶に、紫雨は頭を抱える。 「少なくとも、幼なじみに対して使う言葉ではないな?」 「愛しい息子の為だと思えば、ねぇ? 『古参の道師』達が何かと訝しんでいる様ですし……まあ、あの子の潜在能力のひとつやふたつ、見せ付けてやれば、二度と何も言ってこないでしょうが」 「──何をすればいい?」 「……北東鬼門で跋扈していた病鬼を捕まえてあるんです。精神体で、さほど強くない鬼の一種ですが、今の貴方では自ら落すのは、困難でしょう?」  幽鬼めいた表情で、にぃ、と笑いながら、叶は手の平を上に向けた。  何の音も立てずに、妖気に包まれた紫色の鬼火が現れる。鬼火は叶の声に応えるかのように、ゆらりと揺れながら動き出したかと思うと、紫雨の胸の前に止まった。 「自ら天敵を受け入れるなど、狂気の沙汰だな」  紫雨はくつくつと笑いながら、鬼火がゆっくりと己の内に入っていく様を、ただ見ていた。やがてその全てが呑み込まれる。  ほんの一瞬だったが、香彩は確かに見たのだ。  長い長い、二の腕の影を。  紫雨が、病鬼を受け入れた証だった。  それはまさに自分の為なのだと、香彩は分かっていた。分かっていたというのに今更思い知って、締め付けられるようだった胸が、更に苦しくなる。 「病鬼は病気。これが貴方の内でどう作用するのか、私にも分かりません。ですが……」  ちょっとまだ()()()足りないですかねぇ。  そう言って叶は、ごく自然にさりげない動作で、視線をちらりと引き戸へ向ける。

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