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第279話 偽りなき真実 其の十四

 (かのと)は二本の指先だけで、白い蝶の羽を持つ。  蝶が藻掻くかのように、六本の脚を勢い良く宙に描く。そうすれば彼君から逃げられるかもしれないと、儚い希望を持って。だが折角の獲物を、叶がそう簡単に逃がすはずもなかった。  やがて疲れてしまったのか、それとも悪足掻きは止めたのか。蝶の脚の力は抜け、ぐったりとする。  そんな光景を香彩(かさい)は、胸が詰まるような思いでただ見つめていた。  これは自分を落とす為に招影(しょうよう)()せる、過去の幻影だ。だから彼君は決してこちらに気付くことはない。もしも自分があの蝶のように、彼君を視ていたのだとしたら、無事では済まないはずだ。  彼君を術的に『視る』ことそのものが不敬であり、禁忌であり、怒りを買うことに繋がるのだから。 (──そう、あの蝶は……)  縛魔師が偵察に使う、紙蝶(しちょう)だ。  あらかじめ術式の組み込まれた札を蝶の形に切り、息を吹き込むことによって『蝶』となる。『蝶』は術者と一体になり、より遠くの物を、人では入り込めない場所を見る『目』となるのだ。 「紫雨(むらさめ)にですか? それとも私にですか? どちらにせよ私達が話していたこの場所に蝶を残すなど、愚かですよ」  そう、愚かだと香彩は心の中で思った。  縛魔師ならばそれが禁忌となることは知っていて当然のことだ。紫雨を『視ていた』にしろ、叶が大宰(だいさい)政務室に現れた時点で、術者は『蝶』を引くべきだったのだ。  一体誰がそんなことをと思った香彩が、はたと気付く。   ──これは一体、誰の真実を啼いた物だっただろうか、と。 「──……っ!」  香彩は言葉を詰まらせた。  思わず口を手で覆い、思い浮かべた人物と仕出かした物事に、ふるりと身体を震わせる。  ──衝撃が欲しいと、わざわざ口にして差し上げたというのに逃げないなんて、余程術に自信があるのか。  ──私に餌として遣われたかったのか、どちらなんでしょうねぇ。  叶の言葉が頭の中に蘇る。  このまま彼君の言葉の通りならば、自分はこれから見ることになるのだ。  この紙蝶が魔妖の王の餌となるその瞬間を。  紙蝶の脚が再び激しく動き出す。  何とかして叶の手から逃れようと必死だった。だがたとえいまこの瞬間に彼君から逃げられたとしても、その媒体は蝶を模した物。ひらひらと舞うことのしか出来ないそれは、すぐに捕まってしまうだろう。  手の中で抵抗する紙蝶に、彼君は一体何を思ったのか。その鋭い鬼爪を、捕らえていた羽に突き刺した。  

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