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第282話  偽りなき真実 其の十七

 幻影は大宰(だいさい)政務室から場面を変えて、中枢楼閣の外にある石畳の道を映していた。  殆どと言っていいほど人の通らないその道に、甘く悩ましい声だけが響いている。  抵抗しながらもどこか許しのある、くぐもった声。  あの時の場面だと香彩(かさい)は思った。  朱門の監査の待つ人の多い茶屋の個室で、隣室から『紫雨(むらさめ)に妙な長い影を見た』という声が聞こえてきた。  いても立ってもいられず、思わず飛び出した先で紫雨に出会い、彼に纏わり付く『影』を視て、誰かに払って貰わなければと訴えた。  だが紫雨は言ったのだ。  ──お前が……俺を祓え、香彩、と。  そうして神気と術力を混ぜ合わせた『力』を口移しされた。  駄目だと思った。  自分の為に『力』を使う紫雨に対して、駄目だと思いながらも、その『力』の甘さに翻弄される。『力』の一部が愛しい人の物だからだろうか。  縋り付くかのように、紫雨の衣着を掴んで。  『力』を受け入れる。  だがそれは端から見れば、人気のいない場所で接吻(くちづけ)を楽しむ逢瀬にも見えたのか。『成人の儀』後に、性愛に目覚めた者同士が慈しむ様だと思ったのか。 (──ああ……)   感じなかったはずの気配を、読み取る。  巧妙に上手く隠していたが、元々人の持つ『気』を読み解くのは得意だった香彩だ。  それは今の香彩にとって、何とも不思議な光景だった。  何も気付かずに、ただ紫雨からの慈しむような甘い接吻(くちづけ)を受け入れる自分と。  二人を盗み見るようにじっと見つめる人物を、後ろから眺めている自分がいる。  まさに『招影(しょうよう)が見せる幻影』と『蒼竜が見せる真実』を同時に()せられている、そんな光景だったのだ。  中枢楼閣の紅の、太い柱の影に(ねい)はいた。  精気のない顔をしながらも、信じられないとばかりに目を大きく見開いている。ぎっと噛む唇は無意識だろうか。  はぁ……と、甘くも熱い息を吐き出しながら、紫雨と香彩の唇が離れる。様々な想いから溢れた香彩の一筋の涙を、紫雨が掬い上げるようにして舐め取り、その目じりを吸う。  やがて立ち去る紫雨の後ろ姿を、ただじっと見つめる香彩がいた。  そんな香彩を見る寧の瞳は、欲にぎらつきながらもどこか葛藤をしているかのような、そんな色をしている。  寧の気配に一切気付くことなく、ぼぉうとした表情を浮かべていた香彩が、すぐ近くにある白虎城門に向かって歩き出した。  

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